- 作者: 御厨貴
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2011/03/18
- メディア: 単行本
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話を聞く側の手腕なのかする側の魅力なのか、興味深い話の尽きない一冊ではあったので須賀、すんなり入ってこなかったところを一つだけ。「もらい事故」的な事情で大臣の椅子にまともな期間座っていられなかった閣僚経験者に「損失補填」と称して再登板の機会を与えるような世話焼きぶりや、各議員の内閣や党での経歴を点数化してグラフ化するといった逸話から、竹下がなぜ総理にまでなりおおせたのかはよく分かる気がしたので須賀、宮澤のそれがあまり具体的に像を結ばないんですね。そりゃあ「東久邇宮内閣の閣僚には一通り会ってましたよ」から始まって、21世紀になっても「平成の高橋是清」とかいって財務大臣*2をやっているヨーダがすごくないわけはないんですけど、
その中で、宮澤が長い政治的経歴を持ちながら、自民党という組織を生きることが苦手であり不得手であったことがよく分かります…(中略)…その彼は、池田という人間を離れて、佐藤に使われ、三木に使われ、福田に使われていきます。異なった派閥の親分に気に入られて、政策通としてさまざまな大臣を歴任していくところに自民党の一つのキャリアステップの上がり方があると感じられます。
という、竹下とは異なるその「キャリアステップの上がり方」についても、是非もっと紙幅を割いてほしかったなあと思います。
それにしても、最後の落とし方は実にキレイですね。エピソードまでここに書いちゃうのはもったいないのでやめておきま須賀、個人的には高校時代の歴史の授業で、鎌倉幕府の滅亡について「ルーマニアのチャウシェスク政権が崩壊した時のように、体制が最も強くなった直後に壊れてしまった」と聞いた(気がする)のが思い出される一節でした。
竹下と宮澤は、お互いに反発するというよりは、無理解の関係にありながら、自民党政治の最終段階では相互に相手を必要とするという関係になっていたに相違ありません。
「自民党内の対角線上にいた」2人のある種の「分業」が成り立った時代が、そのシステム崩壊前夜だった、というのは完全な偶然ではないような気がしてくるのです。