かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
ブログランキング・にほんブログ村へ

ご報告/我が子をこの世に招いて

5月31日午前9時52分に、私たちの長男が生まれました。

名前はまだない。
やっとこさ、ちょっと落ち着いてきたものでして、ここでこの間のことを振り返ってみようと思います。
徴候が現れたのは30日の午前5時半(だったそうです)。出血があり、痛みも出てきたとの一報があり、慌てて駆けつける支度をする私。しかし、朝一番の診察を受けた細君はあまり入院を勧められず、自宅で待機することになりました。「なんだ。まだ入院するほどではないのか」。それを聞いたときには思わずそういう認識を持ってしまいましたが、これが大きな間違いだったことにこれから気づかされます(ちなみにこういうのを前駆陣痛というらしいですね)。
とはいえ、すぐ駆けつける必要はなさそうだということで、最低限の仕事だけこなしてから病院へ。着いたのは午後6時。やはり陣痛が6〜7分おきに出ているとのことで、再度診察を受けていたのでした。待合室に戻ってきた細君が言うには、お医者さんに「今で子宮口の広さは3センチくらい。入院してもしなくてもいいけど、家が近くならそちらで食事や入浴をしてはどうですか。その方がお産も進むと思いますよ」と言われたとのこと。しかし彼女はそれを一気に話し切ることはできず、数分おきの陣痛が来るたびに俯き顔をしかめて、会話が途切れてしまいます。「陣痛ってそんなに痛いものなのか」。いえいえ、そんなものじゃあありません。
結局そのお医者さんの言を容れて帰宅。食事を済ませ、お風呂から上がったタイミングで、陣痛が長く、激しくなってきました。それが来るたびに「痛い、痛い」と呻くようになり、言われるがままに背中をさすります。これはそろそろでしょう。何とか2人でタクシーに乗り込み、病院に向かいました。
そこで本日3度目の診察。しかし助産師さんは「この状態でこの時間から来ても、多分寝ているだけよ。そう変わらないと思うけど、2人次第ね」。産科というものは、妊婦をギリギリまで入院させたがらないものなのか…?そんな疑念すら沸いてきてしまいましたが、近所とはいえタクシーでもう1往復することはちょっと考えられなかったので、そのまま入院を決めました。
そこからが大変でした。1人用ベッドと椅子がある陣痛室に入り、陣痛がきて細君が呻いたら背中をさする、というのを繰り返していたので須賀、お互い朝の5時から興奮状態でしたので、疲れも徐々に出てきます。日付が回ってからは2人でベッドに横になり、陣痛の合間にうとうとするような状態に。私の方で言えば、細君の「痛い!」という声ではっと意識が戻って腰を全力でさするみたいな、そんな有様でした。しかも、時間が経つごとに「もっと強くさすって」のレベルが上がってくるんですね。いくらなんでもそんなの夜通しできないよ、という話で、「もっと力入れて!全力でやって!」(細君) 「これ以上は無理!」(私) なんてやりとりも1時間に1度は交わしたでしょうか。
しかしまた大変だったのが、そのうめき声が結構大きかったこと。私としてははっきり目が覚めるというメリットもありはしたものの、「こんなに痛いものなのか…」と気の毒と言うよりこちらも耐えがたいような気持ちになりましたし、必死こいて腰をさすりながら「こんなにつらい思いをさせてしまうのなら、もし細君が望んでも2人目はいいや」と、正直言って何度も思いました。そんな大騒ぎをしていると、さっきの助産師さんがやってきて一言。「声を出すのはお腹の赤ちゃんにも悪いから、痛みがきたら深呼吸してね」。それを先に言ってくれって話で須賀、それも家にいては聞けなかったわけで、その点では入院しておいてよかったと思います。2時間おきくらいに診察もしてくれるので須賀、夜中の3時ごろに「子宮口は5〜6センチかな。早くても朝以降、遅いと夕方くらいかも」と言われたのには正直ゾッとしました。
「細君はともかく、自分がうとうとしているわけにはいかない」と腹をくくったのが午前4時半。傍らに座ってサポートし始めたので須賀、まさにそこからが眠気と疲労のピークでした。空が白む頃には、座っていてもうつらうつら。手も棒のようで、まるで力が入りません(するとさっきの会話に戻るわけです)。これを夕方まで続けるのはとてもじゃないけど無理。でも、私がそう言ってさするのをやめてしまうのは簡単なことで須賀、当たり前のことながら、細君が「もう無理」と言ってお産をやめてしまうことはできません。ここはもう、やり抜くしかありません。
光明が差したのは、外が明るくなった3時間以上後でした。出勤してきた院長先生が診察してくれて、「かなり進んでいますよ」。午前9時には分娩台に乗りました。それまでは痛くてもいきんではいけなかったので須賀、ここからは「陣痛がきたら思いっきりいきんでください」という指示に。立会者たる夫がいるべき頭の側からは全く見えないので須賀、「ちょっと見えてるよ!」「頑張って!」なんて会話が交わされています。「ご主人も肩を支えてあげてください!」 どう見ても主役は細君で、私はランプの精どころかただの傍観者でしかなかったので須賀、最後の力を振り絞って言われるがままに肩を持ち上げます。そして午前9時52分。人間の中から別の人間が出てきたのでした。
最初見た瞬間、自分と細君の子どもだ!という実感はほぼありませんでした。どちらかというと、どちらにも似ていないように見えることに戸惑ったという表現が近いかもしれません。無意識のうちに「もっと自分か細君に似たような人間が出てくるに違いない」と思っていたのでしょう。
心当たりはあります。私は割と最近まで、自分の子どもという存在を目の当たりにするのが怖い、という気持ちを心のどこかに持っていました。その子どもが、自分の醜さを再現してしまったらどうしよう。おそらくそれは私からその子への遺伝によるものではないかもしれません。人間はみんなすることかもしれませんし、たまたまそうしただけかもしれない。それでも、その子が「鏡」のように、私に気づかなかった自分の醜さを突きつけるのではないか―。
そんな気持ちでしたので、自分と似ているものが出てくることが無意識的に前提されていたのかもしれません。しかし、一番初めに彼を見たときに、その懸念は吹き飛ばされました。ちょっと実感を観念化しすぎた表現で須賀、自分でも細君でもない第三者が出てきたという感覚の方が近かったように思います。まあなんか、仁王様みたいな顔に見えたというのが大きかったのかもしれませんけどねwww
そして出てきてすぐに、元気な泣き声を上げた我が子。その上、聞くところによると産声を上げると同時におしっこまでしていたんだとか(笑)
その後は別室に通され、興奮状態のままお呼びがかかるのを待ちます。いきなりでなんで須賀、この病院の立ち会い出産のいいところはこういうところだと思います。出産時の夫の立ち位置といい、こういうタイミングで席を外させることといい、女性の最低限の尊厳には踏み込まないというか、その辺の配慮は所々で感じられました。出産後に胎盤が出てくることは知識としては持っていましたが、さすがにそれは、いくら夫といえども見せたくない、という女性も少なくないでしょう。それで出産を全て見たことになるのか!と言われればNOですけど、私はそれはそれでいいんだと思いましたね。その上で、ちょっとお手盛り的ではありましたが、肩を支えたりナースコールを押したり*1、夫に役割を与えて「自分も出産に参加して、少しだけど貢献できた」という気持ちを持たせてくれることは、今後の育児参加を促すという意味でも効果的なんだろうと思います。
さて、そんな彼との対面の時間がやってきました。「canarykanariiya*2と申します。これからよろしくお願いします」なんて前から決めていた前口上を述べた後に一緒に遊んでいたので須賀、釣り目気味で黒目が大きくて、目を剥くとやっぱり仁王様みたいなんですねw あと、今から考えたら出産直後は結構全身がむくんでいて、数時間後に会った時と様子がかなり違っていたので、一瞬「別人じゃないの?」と見入ってしまうくらいでした。

これが生後45分くらい。最初の写真は5時間半くらいです。この時はひたすら自分の親指の付け根をしゃぶった挙げ句にあくびを連発するというマイペースさで、顔は似てないけど性格は似てくれたのかなと、思わず昔の心配とは180度逆の喜び方をしていたのでした。
ちなみに今日の彼は寝てばっかりで、起きたかと思ったら結構な勢いで母乳を飲んでいました。

授乳を求めて母親を睨み付けるの図。それにしても、生まれて30時間ちょいにしては濃い顔だな…w
しかし寝姿を見ていると、結構ビクッと動くことが多いですね。妊娠時によくお腹に触れて胎動を感じていたので、「お腹の中でこんな動きをしていたのか」と納得することもありました。あと、意外と「オギャー」と泣く以外の声を不意に出すこともあるんですね。そしてこれは考えすぎかもしれませんが、お腹に話しかけていたときによく言った言葉をかけると、ちょっと反応がいい気がします。
 
完全に親バカが駄文を連ねるエントリみたいになってしまいましたが、今日のところはこのくらいにしようかと思います。「父親」と呼ばれるのはまだしっくりこなくて、どうしても自分の父親の方を連想してしまったりするので須賀、役割にはハマりすぎずに責任を果たしていければいいと思います。それこそ最初に見たときに襲われた感覚ではありませんが、彼には彼の人生があるわけで、それを応援していきたいと思いますし、沢庵流に言えば、それが彼をこの世に呼んできた私たちの責任でもあるのかなあと考えています。

*1:これは「立ち会う夫の任務」として申し渡されました

*2:本名を名乗りました