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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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「有権者は賢い」か?/「『みんなの意見』は案外正しい」(ジェームズ・スロウィッキー)

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

ゼリービーンズがいっぱいに詰められたガラス瓶を被験者一人一人に差し出して、「ゼリービーンズはこの中に何個入っているでしょう?」というクイズを出すとします。その時、一番正しい答えを導き出せるのは「誰」か? ある実験によれば、それはかなりの確率で特定の賢者ではなく「参加者全員の平均」である―。そうした現象や、それが成り立つ条件について論じた本です。
この本の趣旨が、特定のエリート*1による意思決定を称賛することにないのは書名からして明らかではありま須賀、むしろ注目すべきは「みんなの熟議」をもそこから除外している点です。著者が、集団が前述したような賢明な判断をする条件として挙げているのは、意見の多様性・独立性・分散性・集約性で、それを思いっきりざっくり言い換えるなら「さまざまな考えを持っている人が(多様性)、他人の意見に左右されずに判断し(独立性)、それを集計して一つの結論を出すメカニズムが存在すれば(集約性)、極端な意見も合わせて『中和』されて、優れた判断に辿り着けますよ」ということです。それを多くの実験や社会現象から帰納的に論じるという構成になっており、「なんでそうなるのか」という問いにはまさに「中和されるんです」くらいのことしか答えていなかったりもするので須賀、私としてはそこに、著者の(個人というより)人間というものに対するそもそもの信頼が、多少にじんでいるようにも感じました。
一方、概念上の整理みたいな話でしかないのかもしれませんが、著者の挙げた「分散性」について、それを独立して論ずべき理由が私にはちょっとよくわかりませんでした。前二者に包含してしまっていいような気もしたんですけど…
最後に一つ言及しておくなら、やはり最終章「民主主義」でしょうか。こういう論旨でありますから、その射程に入るのはハーバマスが言い出しそうな熟議民主主義よりは、シュンペーターのそれ(代表を選出する選挙を重視する「競争的民主主義」)ということになります。そして著者はこれまでの議論にのっとり、「だれが当選しそうかを勘案して投票する『戦略投票』より、素直に思ったことを書いた方がいいよ*2」と示唆したりするわけで須賀、ここで注意すべきは民主主義政治の場合、市民の主たるインプットが選挙であったとしても、アウトプットは議席配分や大統領当選者では必ずしもなく、そこで決まり行われる政策であるという点です。ゼリービーンズの数では単純に平均を出すことが、予測市場や株式市場では加重的な平均が言うところの「集約性」となるわけで須賀、特に議会選挙の場合、集約された結果は議席配分であるのか(議院内閣制であれば)選ばれた首相であるのか、はたまた結果的に決まった政策や法律であるのか―というところは、この議論の射程*3を考えるという意味では悩ましいところです。そもそももっと重要なところで言えば、小選挙区制や比例代表制といった選挙制度の集約性における重要さは絶対に無視できないわけで、こうなってくると、この「ゼリービーンズの知見」を(民主主義に限らず)意思決定や制度設計に応用するのであれば、この「集約性」の様々なあり方についてもっと議論していくべきだろうという気がしてきますね。
まぁ、本来の意味で「そもそも」と言うなら、この「独立性」という条件は民主主義のそもそもの原理と真っ向から対立するんですけどね(笑) もちろんこの議論の有用性を否定する趣旨で言ってるわけではないんで須賀、よく総選挙の結果を受けた政治家や評論家が経験知的に言う「いやあ、有権者は賢いですね。全体的として、こういう絶妙な議席配分を作り出したんですから…」みたいなコメントも、突き詰めていけばそう簡単な話ではないかなと思ったりもするのです・・・そろそろ話を収拾できなくなってきたのでこの辺で打ち切ろうと思いますwww

*1:究極的にはプラトンの「哲人王」

*2:戦略投票は「独立性」に反する

*3:ゼリービーンズで得られた知見をどの段階まで適用・応用できるのか