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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『古代日本外交史』(廣瀬憲雄)

古代日本外交史 東部ユーラシアの視点から読み直す (講談社選書メチエ)

古代日本外交史 東部ユーラシアの視点から読み直す (講談社選書メチエ)

「東部ユーラシア」という切り口からその地域の、そして日本の外交史の展開を1000年近くにわたって追った本です。
…と言うと、中華帝国を頂点とする冊封体制華夷秩序といった語彙を思い浮かべてしまいそうで須賀、そうしたピラミッド型の国際秩序ではなく、もっと多元化した秩序が併存する場として「東部ユーラシア」を措定し、各国が交わす外交文書*1や外交儀礼*2からこれまでの「古代日本外交史」を再解釈することを目指しています。例えば、「お前はワシの家来として云々…」と書かれた書状の返事に「ういっす!ちいっす!*3」的なノリで返したり、北面する皇帝の使者に横を向いて接したり*4といった事例を拾いながら、隋唐や突厥といった大帝国のみならず、日本や新羅クラスの周辺国も自分たちの国際秩序を形成・維持しようと腐心している様を描き出しています。
さらにはそうした視点や知見から、これまで当然のように言われてきたような古代日本(倭国)の外交政策への解釈にアンチテーゼを提示していきます。大化の改新と白村江に行きつく朝鮮半島政策の展開の関係については、属人的要因とバランスオブパワーという分析のレヴェルの異なるものが混在している印象も受けましたが、▽煬帝高句麗遠征を繰り返したのは、高句麗が隋に臣属していた東突厥喜美誼を通じることが、隋の国際秩序全体を揺さぶりかねなかったからだ、とか、▽倭国遣隋使による「日出づる処の天子…」に始まる文書に煬帝が、激怒しながらも裴世清を倭国に送ったのは、高句麗対策というよりは、倭国が隋にとって台湾やマレー半島と同様の「政治的利害関係に乏しい遠方(絶域)」に過ぎなかったからだ―といった見解は非常に興味深かったです。
全体的に、もっと当時の国際秩序を多元的に見ていこうよ、そうすればこんな解釈もできるよ、というのがこの本の趣旨で、それを抽象的に指摘するだけなら簡単なので生姜、こうやって読んでいくと、現実にはごく一時期しか実現していなかった「並ぶものなき超大国としての中華帝国」を頂点とするヒエラルキー型秩序がいかに強固に自分の認識を支配していたか、思うところのある一冊でした。日本についても、渤海新羅などを相手に自国中心の国際秩序を形作ろうとした古代「帝国」の一種として評価されている点は、『隼人と古代日本』(永山修一)での議論を思い出しましたが、「疑似民族集団」・隼人への政策と外交面の双方において、9世紀前半ごろにこれまでの「帝国」志向が変質しているあたりは非常に示唆深いですよね。

*1:簡単に言うと言葉遣い

*2:「天使南面不拝」(皇帝の使者は南を向き、頭を下げない)に対する「蕃国王北面起立礼拝」(周辺国の国王は北を向き、立ち上がって頭を下げる)など

*3:一応、敬語を使うことを完全に放棄してはいないのがミソ

*4:自分は南面したくない