- 作者: ティムールヴェルメシュ,森内薫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2014/01/21
- メディア: 単行本
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これから読む人のために差し障りのない(?)範囲で言うと、当時そのままの言動を繰り返す彼が「強烈なブラックジョークを繰り出すコメディアン」として高く評価され、人気者になっていくさまが、これまたコミカルに展開されていきます。
その面白さというのも、大きく分けて二通りあるでしょう。一つは、1945年にピストル自殺した人間が2011年を観察するという、言わば外部視点による風刺です。これはかつて『吾輩は猫である』で触れたことでもありますし、ここでは割愛します。
もう一点は―こちらがミソなので須賀―、作中において彼はアドルフ・ヒトラーその人であり、自身は大真面目に持論を展開しているのにも関わらず、(もちろん)ほとんどの人間が、彼はヒトラー本人でなくそれを風刺する芸人で、その言動は恐ろしく完成度の高いネタであると見做しているというギャップにあります。滑稽なことに、多少の言葉遊びをつなぎ目にして、かみ合わないはずの両者の会話がなぜか表面的には成立してしまうのです。さらに言うと、ナチス礼讃はタブーであるという認識は強く共有されていながら*1、往時のままであるはずの彼の言説がネタとして受容されてしまう。もっと言えば、ストレートにナチズムと結び付くイメージのない主張*2については、積極的な賛同まで集めるようになるのです。
この小説は、少なくとも建前上、風刺の効いた笑い話として読むべきものとして差し出されているわけで須賀、こうしたシーンを描き出す著者には、ヒトラーという人物には現代人にも頷かせる何がしかの資質があった、あるいは*3現代ドイツ社会にヒトラー的言説を受け入れさせる素地がある、ということを表現する意図はあったのでしょう*4。そうしたことを警句と受け取るなら、最終盤の展開というのはかなり笑えないというか、気味の悪いものに見えてくるのです。
最初に述べたとおり「ヒトラーが当時そのままに甦った」というのは、この話のそもそもの前提です。それでも、読み終えた直後、こんな疑問が脳裏をよぎらざるを得ませんでした。
「本当にあの男は、ヒトラー本人だったのか?」