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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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旅先で読了/『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』(石井良助)

天皇 天皇の生成および不親政の伝統 (講談社学術文庫)

天皇 天皇の生成および不親政の伝統 (講談社学術文庫)

日本法制史を専門とする著者が戦後間もない時期に、日本の政治形態と天皇のあり方について通史的に追いながら、副題にあるように「親政しないことこそが天皇の伝統である」と説いた本です。まさに邪馬台国卑弥呼と弟の関係から始め、日本国憲法における象徴天皇制にまで言及しながら*1、むしろ天皇親政が謳われたのは外国の法制度を移入した律令期(中国)と明治憲法期(プロイセン)の2時期に限られる、と述べています。
実力で武家のトップに立ったはずの徳川幕府が、自他共に「天皇から政権の委託を受けた存在」とみなされるようになっていく過程など、様々な史料を駆使した立論に納得させられる部分も多かったので須賀、一つ気になったのは「伝統」についてでした。著者は、不親政がまさしく卑弥呼の時代から続く伝統であると何度も繰り返しているので須賀、それはやや本質主義的な*2見方と言わざるを得ない気がします。これは邪馬台国天皇との関係についての見解*3にも関わってくる話でもあるので生姜、「天皇には不親政の伝統がある」というのと「天皇は本質的に不親政である」というのは同義ではなく、むしろ伝統というのは、江戸時代の鎖国がそうである*4ように、無意識に徐々に形成されていって、それが何らかの理由で意識に上ったある時、初めて伝統なのだと認識される性質のものだという方が実情に近いと思うのです。その前提を採れば、天皇不親政という伝統は、もとはと言えばより偶発的な諸条件によって形成されてきたものと言うことができ、さらにそれを踏まえて著者の成果を解釈するならば、武列天皇の後に越前から継体天皇を迎えたことが、世界史上の他の王権と条件を分かった重要なきっかけの一つだったと私は考えています。
逆説的かもしれませんが、この本での丹念な議論こそ、(天皇不親政の)伝統を構成主義*5に理解していくメリットを示しているようにすら私には思えます。ちなみに、解説を書いている本郷和人氏が
天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書)

天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書)

で、こうした議論につながるようなことを述べているそうなので*6、そちらも是非読んでみたいものです。

*1:それが国体の変革と呼びうるものであるかについて議論されているあたりには時代背景を感じます

*2:Aはそもそも本質的にBなんだからBなの!

*3:著者は、卑弥呼の後継者である台与が、奴国王に政権を譲ったことで大和王権が確立されたとしています。冒頭の第一編でそのへんのことを縷々述べているので須賀、個人的にはそういう「謎解き古代史」っぽいノリは要らなかったんじゃないかと思います

*4:ラクスマンが来て初めて「鎖国は祖法」と認識されるようになった

*5:AはBだとみんなが言うことがますますAをBにしていく

*6:むしろ「私がここでその本の論旨に近い議論をしている」と言うべきか