かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『幕末の小笠原』(田中弘之)

高校時代の日本史の先生は、あの予備校みたいな高校の中で受験勉強以外のことも教えてくれた数少ない教員の一人でした。彼自身が研究していたということもあってか、今で言うところの薩南諸島あたりの話はよく聞きましたし、対馬なども挙げて「最近*1はある文化の周縁部、他文化との境界になるような地域の歴史研究がブームになっている」なんてことも言っていました。
その意味において、まさに日本列島を中心に展開されてきた歴史の周縁に位置し、英米など西洋列強との境界にあったのが幕末の小笠原諸島でした。この島々は、江戸時代前期に日本の船が漂着し、幕府が探検船を派遣するなどして知られるようになったので須賀、その後しばらく放置されます。その間、西洋の捕鯨船などが行き来するようになり、イギリス海軍の探検船艦長が領有を宣言したり、浦賀来航前のペリーがやってきたりと、戦略的要衝としての注目度を高め、欧米系*2の定住民も現れました。しかし、イギリスは一時対馬を占拠したロシアへの、アメリカはイギリスへの対抗関係*3上、幕府の「再回収」の動きを容認する判断をしたため、現地の欧米系住民の理解も得ながら、日本領として定着していった―。そうした境界の島の歴史を、資料をもとにフォローしています。
「境界」の歴史の面白さというのは、接している複数の文化の「正史」が絡み合う中でその地域の歴史が紡がれていくところでしょう。欧米系住民に領事裁判権を適用する話とか、日本領なら条約に定められた開港場ではないんじゃないかとか、この本では敢えて言うなら複数の「大きな歴史」が「小さな歴史」に影響していくさまが具体的に描かれていて、とても興味深かったです。ただ一方、列強の思惑や幕府・明治政府の都合だけが島のありようを決めるわけではもちろんないはずで、「幕末の小笠原」という書名の範疇を超えてしまいそうではありま須賀、欧米系住民とその後移入してきた日系住民がどのように融和し、小笠原の歴史をつくってきたのか、そのあたりについてももっと知りたいと感じました。

*1:私が高校生であった頃

*2:いわゆるヨーロッパ人のみならず、ハワイ系の人々も含みます

*3:それぞれ対抗の意味合いが異なりま須賀