- 作者: 黄長〓@57F6@,萩原遼
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1999/01
- メディア: 単行本
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また、読んでいくうちに、主体思想の理論家である著者が、その思想とマルクス主義との差異をある種のヒューマニティーに見出していることも理解していけるので須賀、どうしても私などから見ると、単線的・必然的な歴史の発展を前提としているところなど、やはり両者の共通性は大きいような気がしました*1。それでも著者がそれらの相違を強調するのは、第一義的には理論家としての矜持といったところなので生姜、翻って金日成・金正日は、ソ連と中国という東側の大国に対する国際政治力学上あるいは政治理念上の独自性をアピールし、ひいては自らの体制を正当化するためにそれを用いたわけで、その学者と権力者の呉越同舟ぶりはこの本のハイライトの一つでもあると思います。
以下の一節は、著者がかつて「北朝鮮版文革」の被害を被った時期に思い至ったとしています。やや抽象的に過ぎま須賀、北朝鮮という国の共産主義化は、まさにこのように推移したと言っていいのではないかと考えます。
わたしはこのときから階級的利益を社会共同の利益、人類共通の利益の上に置く階級主義*2は、階級利己主義に転落せざるをえないだろう、そして階級利己主義は指導者の利己主義につながるのは必然であり、それは指導者にたいする個人崇拝と個人独裁に集約されるしかないとの結論を下すにいたった。