かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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記者稼業と囚人のジレンマ

…と言えば同業の方は何を言い出すのか大体想像つくかもしれませんが(笑)、今日はそんなテーマで泊まり勤務のクラブから*1お送りしますww
この世界には「抜く」「抜かれる」という問題があります。記者クラブに所属している社同士だと建前は横並びで、特定の社にだけ何かを教えるということはよろしくないとされているんで須賀、でもまぁ、そこはいろいろなんですねww 一ないしいくつかの社に対してだけ事前情報を流す、なんてことをする人もいれば、それを報道することまで許す人もいるようです。そしてもちろん、ある社が独自の取材を重ねて、他の社が掴んでいない情報を得るということもあります。そのへんのネタを「もらう」か「つかむ」かはきれいに分けられるものではないんでしょうけどね。
で、その掴んだネタをどうするか。出せば「特ダネ」として評価される反面、特に「もらいネタ」的側面が強いと取材源側に不都合が出る可能性があります。そして何よりもネタを「抜かれた」側はたまらない。ガミガミ怒られながら必死で裏付けを取って追いかけなければならないわけです。となると同じクラブにいながら、ピリピリした雰囲気が流れることも往々にしてあります。
となると、なら、という話が出てくるわけです。報道対応する側が「特ダネもやらないが、特オチもさせない」という方針で臨むだとか、「それを報道したら出入り禁止だよ」なんて脅しをかけることで、「抜いた抜かれた」のゴタゴタを防ごうとする。結構こういう人多いですね。そして記者の間にも「まぁぼちぼちやろうや」という横並び意識が芽生えることもあるように聞いています。
…とここまで来れば、タイトルの意味もはっきりしてきたのではないでしょうか。抜いた抜かれたの記者の世界を、ゲーム理論に当てはめて考えたらどうなるか。お互い特ダネ競争を繰り返せば両方が磨り減る、片方だけならやった者勝ち、両方やらなければ得点にはならなくても失点にはならない。とすれば、記者たちは囚人のジレンマに似た「ゲーム」の中にいるようにも見えてきます。じゃあその囚人のジレンマの解はどうなるかというと、二人が通牒、協力して自白しないことがパレート最適とされ、軍縮のための国際協調という発想もこれに裏付けられています。ということは、この形でゲーム理論を援用した場合、報道各社は横並びでいるのがパレート最適の状態であって、特ダネを追わないのが最善、というのが結論となります。「特ダネも特オチもない」や「書いたら出禁」も、囚人のジレンマを協力ゲームとして解くための「しっぺ返し戦略」(アクセルロード)と見ることもできますよね。
そんなわけで各社横並びで何もしないのがベストですよね、めでたしめでたし、となるかというと、そんなことないよー。確かに各記者が自分の労力を消費しないとか、社内評価を上げたいだとか、第一義的にそういうことのために行動するプレイヤーなら妥当する議論かもしれませんが、実際がどうかについて敢えて触れないにせよ、少なくともべき論においては、市民の知る権利に奉仕するのが報道各社の第一義的な使命であって、各記者の取材における切磋琢磨がそのよりよい実現に貢献するわけです。言い換えれば、目指すべきは記者クラブのお仲間連中のではなく、社会全体でのプラスサムなのです*2
そしてただ単に一日二日早いということ*3でなく、他には出ないような深い特ダネを。それこそ言うのは易しの世界で須賀、肝に銘じておかねばなりますまい。

*1:書き終えたのは後日でしたけどねw

*2:ひたすら飛ばすように報じ続けることがそれに直結するとは思いませんが、話が逸れるのでまた別の機会にでも

*3:これもそう簡単なことではないみたいですねw