- 作者: 苅部直
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/05/19
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 53回
- この商品を含むブログ (85件) を見る
この本で著者は「評伝風思想案内」という言葉の通り、丸山の生い立ちから死までを追いながら、その時々のどのような体験や環境*2が彼の思索にどのような影響を与えたかについて考察しています。で須賀、というかそうである以上やむを得ないことだとは思うので須賀、どのような外的要因が彼の内的な思索にどのように影響したかということについては、あくまでも推測の域を出ないものが多々出てこざるを得ない、というのも感じながら読み進めていました。と言ってもこれは絶対おかしいだろ、みたいなものは私の見る限りなかったですけどね、てかあったら書くしww
あと、この本を読んで著者ではなく丸山を批判するというのも本来的ではないと思うので須賀、この本を読む限りでは、彼は当時「大衆社会」と呼ばれたものに対して非常に悲観的だったのだということは強く感じました。戦前日本の「超国家主義」と、戦後逆コース期の赤狩りの脅威を肌身で感じた彼が「大衆社会」そのものの問題を強く感じる、というのは理解できますし、その点においてはアーレントの議論とも近いものを感じたりするので須賀、なにせその議論の中でメディアの「大衆」への影響力を過大視し過ぎている気がします。その具体例をこの本から、丸山自身の言葉として拾ってくることはできなかったので須賀、著者の言うとおり「情報空間に生きているうちに」「『自主的判断』の能力を失い、自分で考えた結果だと思っても、実はメディアによって刷り込まれた見解をなぞっているだけ」の、「『なぞ』的な人間」*3が「大衆社会」のプレイヤーだという見方をしているなら、マスメディア論的に言えばあまりにも弾丸モデル*4的というか、検討が必要な問題だと思います。
ただこの弾丸モデルへの諸反論が市民権を得るのは60年代のことのようで、丸山がこうした大衆観・マスメディア観を主に展開した50年代にはまだそういう状況になかった可能性は高いですし、テレビ放送が始まったのもちょうどこの時期です。加えて丸山自身が、交錯するメディア情報の中で次のような状況に置かれてしまったことを考えると、それも仕方がないのかな、という気持ちが湧かないでもありません。
丸山真男「つまり現代はこうした無数のイメージの網が交錯して、何が現実で何がイリュージョンだか分からなくなっちゃった。我々の日常関係でもそういう実感はありますね。自分のことで変だけど、去年あたりから丸山学派とか何とか言われていると、つくづくそういうことを感じる」
沢尻エリカ「沢尻会?そんなのないですよ。皆さんメディアに踊らされすぎですって」