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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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西園寺―牧野関係を掘り下げて/『宮中からみる日本近代史』(茶谷誠一)

宮中からみる日本近代史 (ちくま新書)

宮中からみる日本近代史 (ちくま新書)

まさにタイトル通り、明治維新期から日本国憲法施行頃までの日本近代史を、宮中との関係から切り取った本です。元田永孚ら侍補と伊藤博文の軋轢から山県閥の影響、元老西園寺公望牧野伸顕内大臣ラインあるいは「牧野グループ」の時代、宮中における権力を自身に集中させ、終戦に至る聖断をお膳立てした木戸幸一内大臣など、近代日本の宮中の通史的な説明をしてくれています。
明治憲法体制下の政治の特徴を多元的政治構造に見いだし、(日本国憲法下にはないところで言うと)元老や軍部、枢密院など多様なアクターの一つとして宮中を捉えるというスタンスには非常に共感しました。ただ、個々の記述が論理的にこなれていない気はしましたね。全体的に話が前後する箇所が多いというのもそうですけど、既述の西園寺―牧野ラインの記述でうまく呑み込めない部分もありました。
確かにこの2人はいわゆる国際(対英米)協調派であり、その点で西園寺のお眼鏡にかなうかどうかが天皇側近入りの絶対条件だった*1ことは述べられています。しかしこの本によると、西園寺が「天皇無答責」を守るために天皇は政治判断に介入せず、側近者も中立的であることを求める*2いわゆる立憲的な君主像を理想としたのに対して、牧野は天皇大権を代行する各機関が天皇を納得させつつ権力を行使する―という輔弼観を持つとされています。この牧野の考え方は、裏を返せば「天皇をちゃんと説得せずに行われる権力行使は認められない」ということになるわけで、それを天皇や側近が行動で示すことは、即ち西園寺の追求する立憲的君主像に抵触することになりかねません。事実、その食い違いは張作霖事件に関する昭和天皇田中義一首相「叱責」で顕在化しています*3。また牧野は、もちろんそうした西園寺の考え方は踏まえた上で日々の宮中運営に当たっているので須賀、破談となった第二次ロンドン軍縮会議について、逆に西園寺から「大元帥たる天皇から陸海両統帥部長に注意すべきだ」と提案されるに至っては「(日頃の西園寺の主張との齟齬が)多少合点の行かざる次第もあり」とスルーしてしまっているのです。
西園寺が牧野を高く評価していたのは史料からも明らかではあるので須賀、この矛盾をも孕んだ関係を「牧野は、西園寺流の宮中管理法を担っていくのに最適の側近であった」とまとめてしまうのはややもったいない。2人の立憲君主観の齟齬を掘り下げた上で、そのズレが生んだ事象を位置づけていくべきだったのではないかと感じました。
その辺を差し引いても、明治憲法体制の特徴をいいアングルから切り取っていて、楽しく読むことができました。

*1:ゆえに西園寺は平沼騏一郎を徹底的に忌避する

*2:ゆえに牧野が推薦する山本権兵衛の元老化を「薩摩閥色が強い」として認めない

*3:天皇と牧野が主導したが、西園寺は最終的に反対