かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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行動経済学つながりで3冊/『予想通りに不合理』(ダン・アリエリー)、『選択の科学』(シーナ・アイエンガー)、『スタンフォードの自分を変える教室』(ケリー・マクゴニガル)

【目次】

 

人間の(時に)不合理な選択や行動にスポットライトを当てつつ、それを踏まえてどう考え、行動するのがよいかについてそれぞれの視野から考えている3冊です。

『予想通りに不合理』(ダン・アリエリー)

まさに行動経済学のさまざまな知見を、ユニークな実験を交えて紹介しています。それだけにとどまらず、それを個々人の行動や社会課題への対応にどう結びつけていくとよいか、という示唆まで語られており、とても面白い&学びの多い本です。

日本語訳の書名がパッとしませんが、「人間は不合理なんだけどそれは予想可能で、だから改善しうる」という彼の信念を凝縮して表現しており、読み終えてみてその意味がよく分かりました。

『選択の科学』(シーナ・アイエンガー

運命論的な世界観を持つシーク教徒の子としてアメリカで生まれ、病で失明した著者が、個人の選択が重んじられるアメリカ社会で「選択」研究に身を投じていくまでを語りつつ、その成果をわかりやすく示しています。選択すること・選択できると感じられることの意義を基本に置きながらも、既述の行動経済学的な観点のみならず、文化的な背景、選択することが重荷になり過ぎるケースについてなど、「合理的な選択」を取り囲む様々な制約などを説明していきます。

スタンフォードの自分を変える教室』(ケリー・マクゴニガル)

これは一度読んだ本でした。

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行動経済学でよくテーマになる「先延ばししない」「やめたい習慣に手を出さない」ことを実現する「意志力」をどう養い・発揮していくべきか、実践的な手法を合わせて論じています。

自分自身にも、ビジネスにも、社会課題にも

こうした知見を生かす先としては、個人(なんらかの目的で自分や身近な人の行動・習慣を変える)やビジネス(顧客となり得る人の行動を誘導する)が挙げられることが多いと思います。3冊目などは「個人」の典型例であるがゆえに必要以上に自己啓発っぽい邦題がつけられてしまっていますし、私はあとの2冊を、

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という本の紹介で知りました。

とすると、行動経済学を社会課題の解決に使おう!という1冊目の観点は、非常に注目すべきものだろうと改めて感じます。真っ当にビジネスに応用することが悪いことだとは全く思いませんが、そこに社会の問題に取り組む視点は、ぜひ織り込んでいきたいものです。

『LIFE SHIFT2』(アンドリュー・スコット、リンダ・グラットン)

 

技術的発明と社会的発明

人生100年時代」の問題提起で話題を呼んだ著作の続編です。

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前著でも扱った長寿化と、「技術的発明と社会的発明のタイムラグ」に焦点を当て、教育→仕事→引退という紋切り型の人生の3ステージが通用しなくなりつつある今、一人一人の個人や企業・教育機関・政府がどんな未来を見据え、今からどう振る舞っていくべきかを論じていきます。

「技術的発明と社会的発明のタイムラグ」とは、新しい技術(群)が発明・導入されてから、社会がそれに対応して恩恵を行き渡らせるまでに一定以上の時間を要することを指します。かつての産業革命も、労働者をはじめとする人々の生活水準を向上させるには数世代の時間を要しており*1、著者らは現在のデジタル化も同様の推移を辿る可能性が高いと指摘します。

人生100年時代の「働き方」

肝心の社会的発明に向けては、日本のものを含む世界各地の取り組みを紹介しつつ、「一緒に考え、実践していきましょう」という結論になっています。個人にとっては、目指したい・あり得る自己像を踏まえつつライフステージの多様化に対応していく先に、社会的発明に繋がる実践があるのかもしれませんし、それは「社会的発明」という語感から想像するような大きな物語ではなく、多様なあり方の連続体のようなものかもしれません。一方で、個人のそうした試行錯誤を促すのも押しとどめるのも、制度であり権力であり個人の財産形成に影響力を持つ「企業・教育機関・政府」のカテゴリーの動向による部分が少なくありません。「働き方改革」というワードも人口に膾炙するようになって久しいで須賀、残業減やテレワークだけでなく、本書にあるような「100年近い人生全体における働き方」を変えていってこそだと実感させられました。

 

「社内転職」をどう生かすか

出向を契機に、期せずしてデジタル部門に「社内転職」したような格好の私は、人事配置によって新しい分野の「探索」を会社が後押ししてくれているという意味では恵まれているのだと感じます。ただ、その業務経験をこの先の人生における自分の資産にしていけるかどうかは自分次第であり、そして、言うても私を筆頭に多くが素人の寄せ集めである新聞社ですので「デジタル担当として業務をしっかりやりました」では通用しないことも明らかです。プロジェクトを回していくということも含めて、業務以外の場でも学んでいかねばと改めて感じました。

コロナ禍に見た「自由に浮動」する関係

あと印象的だったのは、パートナーの双方が人生の中でキャリアを追求していくため、社会・経済的条件に制約されずに当事者の選択によって「自由に浮動」する関係を築こうとする、との指摘でした。

「お互いずっと働き続けなくてもいいよね。少なくともどちらかの収入があればなんとかなるでしょ」と約束して結婚した*2のを思い出しましたし、小さいレベルの話にはなりますが、保育園に通う娘が濃厚接触者になった時、在宅で代わる代わる娘を見ながらオンライン会議などの予定をこなしていったことも頭をよぎりました。あれは確かにしんどかったですし、お互いの職場にも少なからずの迷惑をかけてはしまったわけですけど、家族で連携して支え合って非常事態に対処しているという妙な充実感はあったんですよね。そうした経験から、(もちろん夫婦だけでなく)柔軟で安定した関係になっていけばよいのではないかと思っています。

*1:これを「エンゲルスの休止」と呼ぶそうです

*2:ただ、実際に子供がいたりするとそこまで簡単な話でもない

『ロードバイクの作法』(竹谷賢二)

 

www.nhk.jp

でお馴染みの「ドクター竹谷」が、脱・ロードバイク初心者のためのアドバイスをまとめた本です。ロードバイクの調整、ペダルの漕ぎ方、乗る時のフォーム、練習法などについて、自身のアマチュア時代からの経験・理論を踏まえて解説してくれています。

クロスバイク2年半、ロードバイクでようやく半年ちょっと、という私が脱初心者を目指すレベルなのかはもとより疑問ではありま須賀、「ハンドルとサドルに体重を預けすぎ」「なので重心も高くてカーブもぎこちない」といった自分の傾向は把握できたつもりなので、次回乗るときはドクターの指摘を思い出しながらペダルを漕いでみたいです。

 

家族の理解をいただきながら、毎週末とは言わないまでも、あちこち自転車で出かけることを最近の趣味にしています。特に、所定の袋に入れて自転車ごと電車に乗せてしまえば*1、日帰りでもちょっとした旅行ができるのでとても楽しいです。最近、初めて本格的に転倒してしまったので安全面には一層気を付けつつ、長く続けていきたいと思っています。2泊3日とかで出かけてみたいけどな・・・

 

*1:一度新幹線にも乗せました

自由世界の「北極星」/『メルケル』(カティ・マートン)

 

プーチンとの因縁

東ドイツ出身の女性科学者が統一ドイツの首相、そして「自由世界のリーダー」になるまでの軌跡を描いた本です。

ユーロ危機・中東の難民受け入れと台頭するポピュリズムブレグジット新型コロナウイルスなどの課題にどう取り組んだか、またプーチンやトランプ、オバママクロン習近平といった一筋縄ではいかない各国のリーダーとどう渡り合ってきたかなど、16年にわたる首相時代の課題や業績が紹介されています。

興味深いエピソードにも事欠きません。共に東ドイツで長く過ごし、それぞれドイツ語とロシア語を操るプーチンとの一連の「因縁の対決」や、メルケルがそのプーチンのものまねをして笑いを取った一コマ、盗聴問題で一時大きく傷つきながらも、実質的な自由世界のリーダーの役割を「譲り渡される」ことになった*1オバマとの関係などは描写もリアルで、価値ある記録とも言えるでしょう。

それのみならず、あえて西から東に向かった牧師の娘としての出自、科学者から政治家への転身、再婚と明かされない(見せびらかせない)プライベートなど、「人間・メルケル」の実像にも迫っており、重層的な人物理解を目指すことができます。

東ドイツという監視国家に育ったがゆえに自由主義を一貫して希求し*2、派手なパフォーマンスや美辞麗句より、長時間の膝詰めでの交渉による歩み寄りや実直な物言いを重んじ実践してきました。その積み重ねが、彼女が望むと望まざるとに関わらず、「欧州の女王」「自由世界のリーダー」と見做されるようになっていった所以なのでしょう。

個人としての進化と世界の激変

一方でそれは、彼女自身の不断の変化(進化)と、国内外を問わない政治環境の変化ゆえとも言えると思います。所謂リーマンショックに端を発するユーロ危機では「慎重すぎる」対応が危機を拡大させたと批判されましたが、後のドイツへの難民受け入れは「らしからぬ」果断が驚きをもって迎えられました*3

このように彼女が過去の経験を糧に、判断のあり方を変化させている半面、ドイツにとって身近な仲間であったはずの米英を中心に自国第一主義が吹き荒れ、中ロなどの権威主義国家が実力を蓄えor行使するというように、世界もまた激変しています。ドイツ国内でも、AfDの台頭は政治風景を確実に変化させています。

そうした中で、北極星のように不動ということはあり得ないにせよ、長期にわたって比較的安定した態度で、安定した政策や発信を続けた点も、彼女が国内外の政治舞台で重視され続けた要因なのでしょう。保守化する世界の重要な一角を占めながら16年間大きくはブレなかったことで、保守政党のトップが、世界全体の道徳的・規範的立場を代表する存在になったということは言えるのだと思います。

どんな組織でも、強かったリーダーの後任者は苦労するものです。それはドイツのショルツ首相はもちろん、アメリカのバイデン大統領に対しても言えることです。ロシアのウクライナ侵攻で世界の分断はますます進んでいます。その中で日本のリーダーが果たせる役割はあるでしょうか。

*1:オバマの後任者にはその役割を引き継げないという含意です

*2:だからアメリカを重視してブッシュとは良好な関係を築き、同じ国からの電話盗聴には人一倍憤った

*3:もちろんこれも従来とは逆の批判を浴びたわけですし、AfDの台頭という大きな副産物も抱えることになり、この判断が歴史的にどう評価されるかは、決定に際する説明や合意形成の成功度合いとともに長期的に判断されざるを得ないでしょう

『政治学者、PTA会長になる』(岡田憲治)

 

民主主義をテーマとする政治学者が小学校のPTA会長に就任してからの、ドタバタや人間ドラマを本人が語った一冊です。

任意団体であるはずのPTAにおいて、なぜこれほどの強制的な行為や言い分がまかり通っているのか。やれる範囲のことをやって感謝し合い、共に子育てする楽しさを感じ合える場にしていくべきではないのか-。著者はそんな思いから会長職を引き受け、組織運営のあり方を変えようと奮闘するものの、現状のあり方に様々な思いを託していた人の存在に気付き、彼らの気持ちをも踏まえながら無理なく楽しめるPTAを模索していきます。

その終盤に起こったのがコロナ禍による一斉休校。これまで何だかんだで残ってきた行事が次々に取りやめになっていく中で、例年にない不安の中で入学してくる新入生・保護者をサポートすることに存在意義を見出し、活動の焦点を合わせていく。そんな3年間を面白おかしく、かつ社会における「半径10メートルの民主主義」という視点を踏まえながら描いています。

任意団体でありながら最初に加入の意思を問われることもなく、いきなり「一応ポイント制になっています」と告げられ、1年生の楽そうな役員への立候補が殺到する様子を目の当たりにした私も、そうしたPTAのあり方には非常に疑問を持っています。一方で、「やりたい人たちだけで、自己完結するようにやってね。それで賄えないことはやめてしまえば?そもそもやってくれなんて頼んだことは一度もないので放っておいてね」というスタンスを決め込む(これは私)か、著者のように一念発起して火中の栗を拾いに行くかは、子育てというよりも地域の人達と広く関わって日々を過ごすことが好きかどうかにかかっているような気がしました。

 

ちょうど今日の夕方、上の子の保育園時代の「ママ友」と出くわしました。別の小学校にながら、今でも多少接点があるので(私としては)よく話す方のママで、気楽な会話を楽しむことができました。そういえばあの園には6年間通いましたが、できて2年目だったかに入園したので、(保育園なので共働き前提ということもあるでしょうけど)あまり堅苦しい決まり事や分担もなく、ゆるっとリーダーシップをとってくれる別のママを軸に、ゆるっと保護者としての最低限の役割めいたものも果たせたような気がしています*1

かたや、今通っている公立小学校は地元の有力企業の関係者が設立した私立学校がルーツで、100年超の歴史を持っています。その違いがこの差につながっているということなら、(著者が取り組んだように)コロナ禍という危機を所謂スクラップアンドビルドの機会にする決意と行動が、今後にわたってPTAがその存在意義を示していけるかどうかに関わってくるのだと思います、知らんけど。

*1:一方で、そう思えるのはその一家と私達がかなり近所に住んでいて、子供同士も仲がいいという条件があったからかもしれません。年長組の15家族が同じ見方をしていたかは、今思えばよく分からないですね

『マネジメント(エッセンシャル版)』(ドラッカー)

 

マネジメントは何のために、どのように進めるべきなのか-。この分野において、世界で一番有名な本だと言って差し支えないでしょう。

エッセンシャル版ということもあってか、一文一文が非常に濃厚で、例えば先日読んだ『両利きの経営』の基本的なコンセプトに相当することが、サラリと書かれていたりします。全体的に文意が取れないような難解な記述はなかったように思いま須賀、私自身通読してみて、どの程度血肉化されたかと問われると、かなり怪しい気がしています。

一方で、自分が今のプロジェクトの中で心がけるべきことであるとか、5章で言うところの「専門家」のような同僚とどんな関係を築くべきかといった、これまでの実体験と結び付けることができた事柄については、その含蓄の深さを実感することができました。多分そうやって、自分が人と様々な形で関わりながら仕事をしていく経験を通じて、心に残り、腹落ちできる箇所が増えていくのでしょう。そうありたいものです。

 

自分もそうであったことがあるように、どこの職場にも業務や雰囲気に慣れ、ペース良く取り組むのに苦労していたり、周囲からそう見なされている人がいたりします。特にここ数年は、それが自分からアプローチできそうな同僚であれば、「(たとえ今の部署でなくても)何かその人の強みを生かせる仕事や、仕事のやり方があるはず」と、できる範囲のサポートを心掛けてきたつもりです。

この本の最終盤に、「人の強みを生産的なものにするのが組織の目的であり、マネジメントの権限の基盤となる正統性だ」という指摘があります。個人を組織のための手段にするのではなく、組織の目的を個々人に置く考え方*1に、ドラッカー自身の体験に基づく人生哲学のようなものを感じつつ、「血の通わない管理監督」っぽくないそのありように希望を感じることができました。

ちょっと前に、こちらも読んでみました。同じ箇所が引用されていましたかね。

*1:カントに通じる部分がありますね

「鎌倉殿の13人」好きならこちらもぜひ/『頼朝と義時』(呉座勇一)

 

武家政権の誕生に大きな役割を果たした源頼朝北条義時の事績を追いながら、その歴史的意義を整理した本です。

平家との和睦を目指した頼朝

頼朝が当初、最重要課題としたのは朝廷から自立した武家政権の樹立でもなければ父の仇である平家を打倒することですらなく*1、源氏の棟梁としての地位を確立することでした。なので朝廷に対しては、「王家の侍大将」として奉仕するという意識を持ち続けていました。

しかし内乱の結果、その勝者として唯一絶対の武家の棟梁となった頼朝は、自分が抱える全国的な御家人集団を国家的な軍事警察機能の担い手として朝廷に公認させることで、実質的には朝廷に拒否権を持つ「保護者」の色合いを強めていきました。ただ、カリスマ性に欠く年少の頼家の権威を増すため、朝廷に対してある程度下手に出続ける必要があったのも事実だったようです。

公武関係を大逆転させた義時

一方の義時は頼朝の側近的な立場で台頭し、頼朝急死後は姉・政子と協力して血で血を洗う抗争を勝ち抜き幕府の最高指導者となりました。さらに、実朝死後に起こった承久の乱に勝利することによって朝廷との関係を劇的に転換させ、武家政治が確立されていく画期となったのでした。

「13人」が権力の運用を学ぶまで

www.nhk.or.jp

まさに同テーマを描いた大河ドラマも話題で須賀、源氏一門や御家人同士で次々に起こる内訌や粛清が、まだまだ序の口に過ぎないと思うと、正直気が滅入る部分もあります。義経や頼朝の英雄物語にするのではなく、そうしたドロドロとした部分をあえて描いているのは明らかに意図的なものなのでしょう。

源義高*2を討った御家人が政子の一言で死を賜ることとなり、義時が「御台所の言葉の重さを理解すべきだ」と姉を諌めるシーンがありました。そこでは政子は、自分の持っている権力の大きさや使い方をまだ分かっていないものとして描かれていましたが、恐らく頼朝を含む幕府の権力者たち皆が、多かれ少なかれそうだったのではないでしょうか。

そもそも剥き出しの武力を持っていながら、高度に集約された権力を運用したことのない人間たちが、権力の共有する方法を見出すまで血みどろの争いを続けていった。それを収束させていったのは、本書の最後に著者が述べたような義時のある種の自己抑制であり、その子・泰時の合議制志向だったー。ドラマがどんな結末を用意するかはわかりませんが、そう考えれば、一つ筋は通るのかなという気がしてきました。

*1:事実、いわゆる源平合戦の最中に平家との和睦を模索している

*2:木曾義仲の息子で、大姫=頼朝の娘の婚約相手