かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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2020年9月〜21年3月の読書「月間賞」

こちらのコーナー、すっかり更新を怠っておりました。

もう子供達の分をフォローすることはできなさそうで須賀、せめて自分の読書の思い出だけでも簡単に振り返ろうと思います。

 

2020年9月 『観応の擾乱』(亀田俊和

足利兄弟らの群像を生き生きと描きながら、マクロ的な視点もしっかりと提示してくれました。

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10月 『院政』(美川圭)

こちらも政治過程と院政の構造をしっかりと描いていました。

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11月 『静かに、ねぇ、静かに』(本谷有希子

この独特の世界観は結構ハマります。

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12月 『パチンコ』(ミンジンリー)

100年にわたる物語の起点が尋ねたことのある場所で、その点も感慨深かったです。

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21年1月 『伊藤博文』(瀧井一博)

伊藤博文のこと、知っているようで全然理解していなかったと思わされる一冊でした。

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2月 『未来からの遺言』(伊藤明彦

長崎での被爆体験を巡る本なので須賀、これはかなり衝撃的でした。

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3月 『ゴジラが見た北朝鮮』(薩摩剣八郎

『民衆暴力』と悩みましたが、個人的に懐かしかったこちらに。

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こうしてみると、7冊中3冊が中公新書の日本史モノでした。

最近はノロノロ運転が続いていま須賀、これからも素敵な本と出会っていきたいですね。

『メディアが動かすアメリカ』(渡辺将人)

 

アメリカの下院議員事務所や大統領選挙のニューヨーク州支部、テレ東記者などを経て現在はアメリカ政治を研究する著者が、同国のメディア・ジャーナリズム事情を紹介する本です。

アンカー神話が崩壊し迷走すら見られる三大ネットワーク、パンディット(政治コメンテーター)依存によって政治的立ち位置を商品化するケーブルテレビ、ワシントンで展開される政治とメディアの駆け引きと怪しげな距離感、こうした既存のジャーナリズムの機能を一部代替しつつある風刺・コメディの影響力、移民たちを繋ぎつつ集票マシーンや本国のスピーカーとしても機能し得る多様なエスニックメディア…そうした諸相を、リアルな実体験を交えて解説してくれます。

著者の言う通り「海外のメディアについて深く知ることは海外を深く知ることと表裏一体でもある」ならば、この本に書かれているような背景を知らず、NHKBS1あたりでたまたま見かけた報道を眺めているだけでは、その国や社会の事情を深く知ったとは言えないでしょう(これは私のことです)。また、著者自身もそうしているように、日本の特にテレビ報道との比較をする上でも示唆深い内容が散りばめられています。

アメリカ政治や社会を知る、日本のテレビメディアについて考えを深める。その両面において有益な一冊だと思います。

鼠は猫を噛みながら、弱い者いじめに走る/『民衆暴力』(藤野裕子)

【目次】 

 

「ええじゃないか」から朝鮮人虐殺まで

近代日本において民衆が大規模な暴力に訴えた事例を紐解きながら、その時代について、そして暴力そのもののありようにまで迫った本です。具体的には、前史としての近世の一揆や打ちこわし、明治初期の新政反対一揆秩父事件、日露講和条約に反対する日比谷焼き打ち事件、そして関東大震災後の朝鮮人虐殺、を論じています。

当時の世相や当事者の認識など、事件の顛末を追うだけでない内在的な理解が目指されていてとても興味深かったで須賀、議論のポイントは大きく二つあったように思います。

国家による暴力独占とその例外

まずは、先述の打ちこわしから時代が下るに従って、国家が暴力の正当性を独占していく点です。明治初年の新政反対一揆西南戦争の鎮圧を経て、人々は明治政府を暴力で倒すことはできないことを悟り、暴力を軍隊や警察が独占することを(イヤイヤであっても)認めるようになります。秩父事件の主導者もそのことは理解していたわけで須賀、その「国家による暴力独占」の例外を国家自らが作ったのが関東大震災後でした。その顛末も述べられていま須賀、「流言を信じた一部民間人による暴走」では片付けられないような、醜悪なメカニズムが描き出されています。この問題に対する現・東京都知事の言動が何を意味するのかも、浮かび上がってくることでしょう。

暴力を振るう人間のありように迫る

二つ目は、権力への対抗と被差別者への迫害の混在です。強者たる政府への反抗でありながら、かつて被差別部落にあった人々への迫害も起こった新政反対一揆と、植民地・朝鮮半島出身者を虐殺し続ける過程で、日頃から口うるさい警察署への焼き打ち寸前まで至った震災後の悲劇。これらを併せ考えることで、「窮鼠猫を噛む」と「弱い者いじめ」が矛盾なく共存し発露し得る、暴力というものの特質も明らかになってくるように思えます。

人間という存在のありように迫ることも歴史を学ぶ醍醐味なのだとすると、この本は簡潔かつ平易にその領域に導いてくれる好著だと思います。

『「家族の幸せ」の経済学』(山口慎太郎)

【目次】

 

「分からない」と言うことの大切さ

結婚、出産、育休、保育園、そして離婚。家族を巡る様々なイベントに関するデータを分析し、現時点で科学的に何をどこまで言えるのか、まとめた本です。

出生体重と子供の将来の知能や収入の関係、幼児教育による子供や社会への効果、離婚しやすい法制度の整備と女性の自殺数との関係など、興味深い知見を紹介してくれます。その上で「現時点での分析からは言えないこと、分からないこと」についても謙虚に言及されており、ややもすればセンセーショナルなタイトルの記事や本が巷に溢れる中で、「この説の真偽についてはまだよく分かっていません」と言うことの大切さを教えてくれる本でもあります。

注目の影に「自助」の風潮

以下はこの本に対するコメントではないので須賀、家庭生活や教育などの中長期的影響について、データに基づいて分析するという著作や研究はよく見かけるようになった気がします。

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もちろん、私自身が家庭を持ったことで、そうしたジャンルに興味を持つようになったというのはあるでしょう。その一方で、福祉国家や公立教育のプレゼンスが相対的に弱まり続け、現首相の言葉を借りれば「公助より自助」が求められる社会になってきていることが、家庭という私的領域のあり方の「効果」に関心が集まっている一因であるように見えなくもありません。

こうした研究成果を生かした社会政策や家庭教育の充実は進めていけばよいと思いま須賀、「知らない人は自分が悪い」的な格差の是認や再生産に結びついていかないことを願いたいです。

35年前にゴジラが訪朝?/『ゴジラが見た北朝鮮』(薩摩剣八郎)、『麦酒とテポドン』(文聖姫)

【目次】

 

拉致された名監督による怪獣映画

ゴジラの「中の人」を演じた怪獣役者が、北朝鮮の怪獣映画「プルガサリ」に出演するために訪朝した際のできごとを記した本です。出演が決まった経緯から撮影現場や宿泊先の様子、そこで出会った人々との交流などが軽妙なタッチで描かれており、楽しく読み進めることができました。

また注目すべきは、韓国から北朝鮮に拉致された申相玉監督がプルガサリの制作指揮をとった点です。申監督夫妻が映画の完成まもなくアメリカに亡命したことは、この映画の運命をも大きく変えました。

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申監督の手記にはプルガサリについてそれほど多くの記述はありませんが、ラングーン爆破事件後で著者を含む日本の撮影チームとの出演交渉が難航したこと、身辺の安全には申監督が責任を持ち、出演料を倍払うことで出演にこぎつけたこと、金正日も作品の出来に満足し、スタッフたちに贈り物がされたことなどが書かれています。

日朝映画史に残る一冊

怪獣特撮映画の「主役」がその現場を語った本であり、国際的な拉致事件の被害者が指揮した作品であるわけですから、日朝双方の映画史に残る一冊だと言ってもオーバーではないはずです。

35年ほど前の北朝鮮訪問の雰囲気を知ることもできます。当然著者は北朝鮮専門家ではなく、いわば体当たりで現地の人や事象と接してきたわけて須賀、読みながら自分が行った時のことを思い出していました。あれももう、15年前のことになってしまいました。

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麦酒とテポドントレードオフ

こちらは元朝鮮新報(朝鮮総連機関紙)記者の著者が、自身の訪朝取材経験を交えながら、昨今の北朝鮮経済について論じた本です。

タイトルに似合わずかなりしっかりした本で、そのタイトルも「人気の大同江ビールの輸出を目指すことと、テポドンに象徴される核ミサイルの開発を続けることのトレードオフ」を示したもので、読めばその辺も腹落ちします。こちらも2010年代までの北朝鮮、特に平壌以外の地方都市の様子を窺い知る上でも有用だと思います。

 

被爆者と被爆体験に迫る衝撃の一冊/『未来からの遺言』(伊藤明彦)

 

長崎のラジオ記者時代から1000人以上の被爆者に会い、その音声を記録し続けてきた著者が、最も印象的だった男性「吉野さん」との出会いから別れまでを語った一冊です。

私自身、あまりこういう紹介の仕方をしたことはないと思いま須賀、これはなかなかにすごい本です。聞き取りを続けるためにラジオ局員という立場をも投げうち、職を転々としながら録音テープを回し続けた、という著者の来歴にも脱帽で須賀、何より吉野さんを巡る物語(あえてこう書きます)もすさまじい。ネタバレは避けたいので詳述しませんが、これは百聞は一見に如かず、関心のある方は是非通読してみていただきたいです。

そこを避けながら感慨深かった点を少しだけ述べるなら、著者は、吉野さんを含む多くの人への聞き取りを通じ、被爆者とは誰か、被爆体験は何かということすら超えて、生死に意味を求める人間という存在についてまで思索を深めていきました。

原爆は、被爆者から人間らしく生き死にするために必要な条件を奪った。それと同時に、被爆者が人間らしく生き続けようとすることは、そのことを通じて原爆を否定し返すことだったー。

この言葉にこそ、原子爆弾が他の兵器と区別されて論じられる所以があるのだと、私自身痛感させられました。それは唯一の被爆国ゆえに成り立った特殊な言論空間ではないはずです。

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直前に読んだ昭和史の本によると、米国が原爆を投下したのは「日本本土への上陸作戦によって多くの死傷者を出すのを防ぐため」とされているそうです。同じ事象を論じたはずの双方の断絶の大きさに、眩暈がしました。

発覚直前に決行された五・一五事件/『昭和史講義』『昭和史講義2』

【目次】

 

近年の昭和史研究水準をフォロー

巷間の「昭和史本」の玉石混交ぶりに一石を投じるため、近年の研究成果を踏まえ、テーマ毎にこの時代の歴史を解説していく本です。

1冊目は通史的な読み方もできる概説的な内容が多かったで須賀、2冊目は治安維持法の国際比較論、中ソ戦争(張学良の奉天政権がソ連に大敗した戦争)、厚生省の設置、昭和天皇による実質的な阿部信行内閣の陸相指名、ゾルゲ事件ゾルゲとスターリンの関係)など、結構掘り下げた内容が多く、かなり読み応えがありました。タイトルにしたように、五・一五事件における海軍内の中心人物が5月16日に取調べを受ける予定だった、なんて話も始めて知りました。

時代の雰囲気を理解する

各論点でとても勉強になりましたが、その中において通底するものとして感じたのは、それぞれの時代を覆うそれぞれ独特の雰囲気というものがあり、それを理解してこその歴史なのだということでした。

例えば、イメージに反するかもしれませんが、満州事変の少し前、大正デモクラシー花盛りの時代の軍人の社会的地位は非常に低く、そのことが以後の軍人たちの心理に影響を与えていたとの見方があります(同時代人たる西園寺公望も近い認識を持っていたとされます)。また、いわゆる血盟団事件から先述の五・一五事件を起こすに至る当事者たちの心象風景であるとか、さらには彼らが被告となった裁判を通じて、結果的にその主張が社会的な関心・共感を集めるに至った(これがミュンヘン一揆後のヒトラーの状況に似ている点にも注意すべきだと思います)ことなども、決して後世の目で荒唐無稽と断じるだけではいけないのだと思います。

現在の「奇習」を相対化する

我々とて、こうした「思考上の奇習」から自由ではありません。例えば最近の「自粛警察」なる風潮や、芸能人の不祥事などに対するヒステリックなバッシング、広くはネット炎上一般を見るにつけそう感じざるを得ません。10年前にも、精神論的とも受け取れる自粛が叫ばれたりもしました。

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「昭和史の教訓」という言葉は戦争との関係で用いられることが専らで須賀、学ぶべきは本来、それだけではないはずです。時代の雰囲気をなるべく相対化し、自らの「思考上の奇習」を顧みる努力をすることは、未来により多くの選択肢を持つために大事なことなのだと感じさせられました。