かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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デジタル報道の可能的様態/『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか』(ジェフ・ジャービス)

【目次】

 

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか

デジタル・ジャーナリズムは稼げるか

 

メディアはサービス業になれ

一記者として、経営幹部として、教育者としてアメリカのジャーナリズムに関わる著者が、その展望について述べた本です。やや古いで須賀、会社の本棚から抜き取ってきました。

著者は、インターネットの普及によってコンテンツの希少性が失われつつある今、メディア企業は「マス」に対してコンテンツビジネスを展開するという発想はもう捨てるべきだと言います。代わって追求すべきは、個人としてのユーザーを知り、関係を深めていくことによって、彼らの目的達成に貢献する「サービス業」に衣替えすること。そのための提案として、ユーザーとの情報や価値の交換、ニュースを巡るエコシステム構築(ブロガーらに対する記者教育も)など、ある種のプラットフォームとしてのさまざまな取り組みについて論じています。

腹落ちしないのは当たり前

率直に言って、「腹落ち感」はあまりない本です。著者が言及するアイデアも多岐にわたりますし、その分、サービス業としてのメディア企業のあり方が具体的に像を結ぶわけでもありません。でも、それは当たり前のことです。なぜなら、「デジタル・ジャーナリズムの稼ぎ方」を見出した企業は、現状ほとんどないと言えるからです。グーテンベルクの発明から書籍や新聞の普及までかなりの時間がかかったように、今もその「長い過渡期」にある。著者のその指摘に、ホッとするような逆に悩ましいような、複雑な気持ちにさせられました。

デジタルの可能的様態

そこで思い浮かべたのは、「メディアの可能的様態」という言葉でした。

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メディアのあり方・使い方は技術が決めるのではなく、いろんな可能性の中のいくつかを、人々が使いながら選びとっていく、というのが大体の意味です。まさに今は、電話でオペラやニュースを放送しているような時代に相当するのかもしれず、著者は、デジタル・ジャーナリズムにおけるそうした可能的様態のいくつかを示してくれている。そう捉えることができるでしょう。

「双方向性2.0」へ

個人的に興味を持ったのは、災害時などに地域住民らが被災・救援状況などをリアルタイムで書き込んでいくページの整備です。現状Twitterが果たしている役割でしょうが、地方メディアがそのプラットフォームになるのは不自然なことではないはずです。そしてもちろん、こうした仕組みの活用を、緊急時に限る必要はないでしょう。

「インターネットの双方向性」と聞くと荒れたコメント欄を連想してしまうのは私だけではないでしょうが、記事に対するリアクション(ここは著者も強調していました)を書いてもらうだけではない、真の意味で双方向から情報や価値をやり取りしうる「双方向性2.0」的な取り組みは、一つのヒントになるかもしれません。日本でも西日本新聞などから広まりつつあるジャーナリズム・オン・デマンドも、その重要な実践と言えるでしょう。

「麒麟がくる」最終回/やっぱりにおう光秀=天海説/創作にも根拠を求めた名作

【目次】

 

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魔法が解けたような信長の表情

ついに日本の歴史上、最も有名な裏切り劇に辿り着きました。

演出は想像以上に淡々としたものでした。明智光秀が実際に本能寺の境内に斬り込むこともありませんでしたし、織田信長も「十兵衛に一言、物申してやろう」と駆け出すことはありませんでした。非情に矢や鉄砲を撃ち込んでいったことも、十兵衛の気持ちの表れなのでしょう。

「十兵衛ならば是非もなし」。最も信頼していた最後の「同志」までが自分のもとを去っていったことへの悲しさがよく表現されていましたが、もう一つ、印象的なシーンがありました。最初に矢が刺さってからの信長はいつもの顔つきで、ハイになって戦闘を楽しんでいるかのような雰囲気すらありましたが、自害を決心した途端、魔法が解けたように表情筋が緩んで、かつての穏やかな顔に戻ったんですよね。この期に及んで昔を取り戻しても覆水盆に返らずなわけで須賀、十兵衛の行動に救いがあったとしたらそれなのかもしれない、なんてことを考えていました。

最後に出てきた「四国説」

最終回ですので、全体の感想も交えてオチをつけようと思います。冒頭に、本能寺の変の原因として近年注目を浴びている「四国説」が登場し、朝廷・足利義昭徳川家康・怨恨…と、有名な説は大体網羅されることになりました。長宗我部元親は光秀を通じて信長と誼を通じており、元親の嫡男は信長の偏諱を受けて「信親」と名乗るほどだったので須賀、両者が敵対関係に陥ったことが、間に立っていた光秀の立場を悪くした、というのが四国説で須賀、案の定というかさすがというか、触れてきましたね。

「創作にも根拠を求める」姿勢

何度か述べては来ましたが、本作は「創作にも根拠を求める」という姿勢がかなり強かったように感じます。そもそもドラマですし、しかも前半生が謎に包まれた人物を主役に仕立て上げたわけですから、史実と見做されていることだけでお話を展開していくわけにはいきません。それでも創作をする際に、信憑性はともかく何らか根拠となるものを参照し、あくまでそれっぽくフィクションを構成していく。その一つ一つの積み重ねが、この物語をリアルにしていったのだと思います。

やっぱり光秀=天海説

それは結末についても言えることです。

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でも触れましたが、明智光秀山崎の戦いで死んでおらず、後に天海と名乗って徳川家康の側近となり、100歳上の長寿を保った、という有名な説があります。その当否はここでは論じませんが、十兵衛が菊丸を通じて家康に渡した書状、そして「共に手を携えて」という言葉は、光秀=天海説を踏まえたものと見るのが自然でしょう。その意味で本作らしいラストシーンだったと思います。

不測の事態を乗り越えた名作

直前のキャストの差し替えやコロナ禍による放送休止と、不測の事態の続いた大河ドラマでしたが、本当に毎週楽しみに見続けることができました。本作をリアルタイムで見られたことは幸せだったと思います。制作に関わった皆さん、そして日曜夜を「麒麟がくる」最優先で回してくれた家族の皆に感謝したいです。

 

『ドリルを売るには穴を売れ』(佐藤義典)

 

ドリルを売るには穴を売れ

ドリルを売るには穴を売れ

  • 作者:佐藤 義典
  • 発売日: 2006/12/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

マーケティングの非常に有名な言葉を書名にとった入門書です。新聞社で細々とマーケティングに関わっていることもあり、人の勧めで読みました。

非常にシンプルにまとまっており、また、小説仕立てのストーリー編がそれ自体とても面白く、すらすらと読み進められました。馴染みのない領域を勉強していると「ある用語が具体的に何を指すのか」の理解に時間かかることがありま須賀、分かりやすい事例がすぐそこについているので助かりました。

読んだ上で、自分の課題の示唆を得ることが特に重要な領域だと思いますので、今取り組んでいる施策、しようとしている買い物の一つ一つを吟味して、考え方を身につけていきたいです。

「麒麟がくる」四十三話/織田家宿老・丹羽長秀がギリギリで登場した理由とその壮絶な死に様?

【目次】

 

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帰蝶の毒殺発言、十兵衛の見た夢、そして再びの打擲と森蘭丸への「反撃」…。ハイテンポに時間を進めながら、信長と十兵衛の関係性が煮詰まっていく様を描いていました。ちょっと見ていて辛かったです。

秀吉もあやかった重鎮・丹羽長秀

今日は、次回が最終回というこのタイミングで突如登場した織田家宿老・丹羽長秀についてです。丹羽長秀と言えば、秀吉が「羽柴」と名乗る際にあやかった武将の一人(もう一人は柴田勝家)であることはよく知られていますね。また、織田家にとって必須の存在というニュアンスで「米五郎左」などとも称された人物です。安土城普請の総奉行も務めており、佐久間信盛柴田勝家がいるなら、とっくにドラマにも出てきておかしくない重鎮でした。

そんな長秀がこの後に及んで饗応絡みで出てきたのは、明智光秀による安土での徳川家康接待の前日に、長秀も家康らを接待していたからと思われます。

光秀の前日に家康を接待

信長公記』によると、長秀は現在の滋賀県米原市で、家康と穴山梅雪、そして織田信忠を饗応しています。穴山梅雪と言えば、武田信玄の甥かつ娘婿でありながら織田方につき、武田家滅亡の引き金を引いたなどとも評された人物で、ここからしばらく家康と行動を共にし、本能寺の変を迎えます。

そこから推測できるように、長秀も本能寺の変当時、京からほど近い大坂で四国攻めの準備をしていました。光秀を討つのに有利な場所にいたものの地の利を生かせず、その後は光秀を倒した秀吉ペースで物事が進みます。

自分の病巣を秀吉に送りつけた?

長秀はその3年後、病で世を去ります。信憑性は不明で須賀、自分で腹を切り裂いて病巣を掴み出し、それを秀吉に送りつけた…などという話が伝わっています。「自分を追い越して天下人への道をひた走る秀吉を恨んでいただろう」という前提に基づく逸話なのでしょう。

…それはともかくとしても、史実と伝わる内容(丹羽長秀も家康を接待した)に基づきつつ、フィクション(信長が光秀から長秀に交代させようとした)を描く手法は、本作の妙味の一つですね。最終回も、楽しみにしています。

知られざる伊藤博文の憲法改革とその結末/『伊藤博文』(瀧井一博)、『明治憲法史』(坂野潤治)

【目次】

 

「無定見」な伊藤博文の政治思想

伊藤博文 知の政治家 (中公新書)

伊藤博文 知の政治家 (中公新書)

 

大久保利通死後の明治政府の実質的な第一人者であり、明治憲法の制定に深く関わった伊藤博文をテーマにした本です。スタンダードな伝記とはやや違って、その後年の行動から「無定見」とも見做されがちな伊藤の政治思想・哲学を掘り下げ、そこから彼の行動を読み解いていきます。

伊藤の発想として特徴的なのは、漸進的な制度の進化への信頼であり、また教育によって国民を文明化することによって、立憲国家という国制に国民政治の内実を盛り込もうとしたことだとされます。無定見の最たるものとされる立憲政友会設立ついてもそこから説明していくので須賀、本書の白眉と言うべきは、1907年の憲法改革の試みと韓国での統監政治の関係、そして山県有朋との「頂上対決」の読み解きでしょう。

山県有朋との「頂上対決」

帝室制度調査局総裁として取り組んだ憲法改革は、天皇を国家機関として明確に位置付けて内閣中心の責任政治を確立し、さらには軍部の帷幄上奏権に挑むものでした。軍政事項を内閣の影響下に置くことで、軍部を牽制しようとしたのです。

そこで注目すべきは、韓国駐留軍への指揮権を持った統監に、文官たる自らが就任したことでした。伊藤はこの時、後の言葉で言えば「統帥権干犯だ」というような批判を抑え込んでおり、韓国を軍部抑制の実践の場とした、と著者は論じています。

この憲法改革は、まさに韓国への軍配備を巡り問題化し、最終的には伊藤・山県会談を経て両者の痛み分け(統帥事項と行政を区別する法令としての「軍令」を認めたものの、その範囲は制限された)に終わります。ただお気付きのように、「天皇を国制上の機関として位置付ける」「統帥権の範囲を明確化する」という課題は、まさにその四半世紀後に火を噴く憲政上の一大論点となるのでした。

天皇機関説が後年に「炎上」した理由

明治憲法史 (ちくま新書)

明治憲法史 (ちくま新書)

 

日本近代史の大家である著者が亡くなる前月に出版したこの本は、美濃部達吉の持論だった天皇機関説がなぜどのようにして問題化したのか、あるいは統帥権に関してはどのような議論がなされてきたのかなど、時代・立場ごとの明治憲法理解に力点を置いて憲政史を説明しています。

なので伊藤や山県、井上毅らよりは、美濃部と穂積八束上杉慎吉吉野作造馬場恒吾といった学者・言論人たちに多くの紙幅が割かれています。加えて、政党内閣が終焉した五・一五事件から日中戦争勃発までの時期を、社会大衆党の動向に注目しながらフォローしている点は興味深く読むことができました。

元老が制度化していたら…

やはり両書から浮かび上がるのは、明治憲法体制下の政治権力の割拠性です。伊藤の憲法改革の問題意識もこの点にありましたし、結果として拡散する国制を最後まで繋ぎ止めることになった元老という存在も、制度ではなく生身の人間である以上、いつかはなくなってしまうことは明らかでした。

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「漸進主義的な制度の進化論者」たる伊藤は、ある時点まで、後継首相を推薦する役割を枢密院に移していこうとしていました。ただこの構想は、桂園時代に比較的スムーズな政権移行がなされたため沙汰止みになったとの分析があります。1冊目の著者に言わせれば、その辺の判断が伊藤らしいということになるのかもしれませんが、「元老」の役割が明確な制度となっていれば、明治憲法史の展開ももう少し違うものになっていたのではないかと思わざるを得ません。

「麒麟がくる」四十二話/松平信康、死の背景は嫁姑問題?

【目次】

 

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松平信康の死の背景は嫁姑問題?

荒木村重の謀反、嫡男・松平信康を巡る家康との懸隔、そして何より信長の光秀打擲事件と、信長周辺の人心の離反を見せつけられた放送回でした。

ここでは松平信康について見てみましょう。恐らく来週出てくるでしょうが、信康並びにその母である築山殿は、この件で共に命を落とすことになります。「武田勝頼に内通した」との嫌疑をかけられたとされていま須賀、その原因については諸説あり、謎の多い事件でもあります。

信康に嫁いだ信長の娘・徳姫と築山殿の「嫁姑問題」に信長が介入したとか、自分の嫡男・織田信忠より信康の方が優れていたことに信長が嫉妬したとか、そもそも家康・信康父子の関係が悪化していたとか、さまざまなことが言われています。

信康を庇わなかった「徳川四天王

不審なのは、当時信長に対し、信康のことを一切庇い立てしなかったとされる家康の重臣酒井忠次が引き続き家中で重用され続け、「徳川四天王」の一人と称されるほどになっている点*1です。

徳姫も関ヶ原後にちゃんと所領をあてがわれており、これらを苦労を重ねながら天下を得た家康の滋味深い人格ゆえとするか、家康側になんらかの事情があったとするかは意見の分かれるところのようです。ただ、ドラマでは家康の内なる怒りが描かれることになるのでしょう。

破局前のカップルのような信長と十兵衛

信長による光秀打擲と言えば、武田勝頼を滅ぼした後に並み居る家臣達の前で起こったという話がよく知られています。次回予告を見る限り、(残念ながら)この一回限りではなさそうなので、そのシーンも出てくるのかもしれません。

個人的には、二人が破局に向かいすれ違うカップルのようにも見え、いつにも増していたたまれない気持ちになってしまいました。

*1:ただ、後年家康に忠次の息子を巡って嫌味を言われたとの逸話は残っています

「麒麟がくる」四十一話/古典的「暗君」化した織田信長/菊丸逃亡は三河の悲劇の伏線?

【目次】

 

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「平蜘蛛」リフレインした割には…

今日は信長・十兵衛の不協和音がいつにもましてしんどかったです。

「平蜘蛛」「平蜘蛛」「平蜘蛛」とリフレインするほど欲しかったはずの茶器を、売って金にすると公言する信長。平蜘蛛が欲しくないということではないはずで須賀、説教されるくらいなら要らない、ということなのでしょう。「諫言する家臣を遠ざけ、媚びへつらう家臣の話ばかり聞く」という、典型的・古典的な暗君の描かれ方になってしまいました。

菊丸の逃亡シーンは三河の悲劇の伏線?

今回特に気になったのは、菊丸のシーンでした。本来、織田家と徳川家は長年の同盟関係のはずですから、別に徳川家康の忍びであることが知れたからといってすぐに命を狙われる必然性はないように思えます。そこでそうならなかったのは何故か。以前出てきた築山殿の悲劇に言及される伏線、と考えるのは勘繰りすぎでしょうか。

光秀と天皇を繋いだ「父」

ところで、NHKファミリーヒストリーで見ましたけれども、坂東玉三郎正親町天皇役)は長谷川博己明智光秀役)のお父さんと交流があったそうですね。2人の演技も、天皇と信長の一家臣という距離感を踏まえつつ越えようとするような雰囲気が感じられてよい感じでした。月に登ろうとした「桂男」の話は、中国の伝説に由来するそうで須賀、詳しいことは他の方の解説に期待したいと思います。