かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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親子の2019年11月読書「月間賞」

canarykanariiya.hatenadiary.jp

私はこの本にしました。データを駆使しながら、日本社会にとって重要な問題を浮き彫りにしていっています。

怪盗ジョーカー(1) (てんとう虫コミックス)

怪盗ジョーカー(1) (てんとう虫コミックス)

 

長男はこれだと言っています。夏頃から保育園の友達の間で流行っているらしく、近くの図書館で予約を入れて借りて読んでいます。

 

 

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「身の丈」発言と格差の深淵/[レビュー]『教育格差』(松岡亮二)

 

教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)

 

データを駆使して日本が「凡庸な教育格差社会」であることを示し、その先を展望する本です。

いつの時代にも生まれ(世帯収入にも関連する親の学歴)による教育格差があり、その影響は未就学児期から生じていること、公立小学校ですら地域による差が大きいこと、そして高校受験までの選抜によって顕在化する格差は、学業成績だけでなく生まれによるものでもあることなどが説明されています。

やはりこの本は、2つの視点から語らざるを得ない気がします。まずは、著者がここで論じているような社会問題としての教育格差についてです。

指摘されているように、十分なデータもなく、即ち政策の成果に対する検証も足りない状態でまた次の「善意の」施策が繰り返されていく現状、そしてその最中にもどうやら格差が拡大しつつあるらしいというのは憂うべき事態だと思います。特に、「日本の教育は横並び」という印象が強い中で、親の学歴などの生まれによる格差が定着、強化されつつあるというギャップは、今後重大な影響を与えかねません。

最近では、文部科学大臣による「身の丈」発言も批判を集めました。この発言自体は論外としても、まさに「地域という生まれの格差」なる、この本で指摘している論点そのものを(文科相がどこまで現状を理解しているかはともかく)指し示す言葉ではあるわけです。その意味では、今の日本における教育格差という深淵を覗き見るような、発言の無責任さ以上にざらっとしたもののある一幕だと言えますし、これは「一幕」で済ませるべき問題ではないのでしょう。

もう一つは自分の体験したこと、そして体験しつつあることです。恐らく多くの人と同様、自分が受けた教育の経験が教育を考える上での第一想起になってしまっていたので須賀、それを相対化することの重要性を感じさせられました。今思えば、自分が通った2つの公立小学校*1の「ふつう」はかなり異なっていた気がします。恐らく、もっと異なる規範を持つ小学校もあったでしょう。それは認識しておくべきなのだと教えられました。

そして、次は子供についてです。率直に言って、同じ保育園に通っていても、クラス(学年)によって教育熱はかなり違っているように感じます。子供の学年を変更することはできませんが、この本を読んで、我が子によりよい教育機会を与えたいと具体的に考えたのは事実です。著者も「この書籍に手を伸ばす人たち」が「格差の現実を知って、自分の家族や身近な人たちに便益をもたらすかもしれ」ず、それは著者自身が「格差の再生産を強化していることになる」と苦悩を明かします。

ただ、そこは著者流に整理をつけることにしようと思います。この本に書いてある知見を、社会のために使っていくこと。そのためにはまず、(逆説的かもしれませんが)伝えていくことではないでしょうか。「門外不出の裏技」*2的に扱うのではなく、「問題提起の材料」として、広く読まれて欲しい本の一冊です。

 

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*1:登校に片道1時間かかる田舎から、政令市に転向しました

*2:そもそも大出版社から売り出された新書なわけですけど

「大転回」を見据えた構想力/[レビュー]『戦後日本首相の外交思想』(増田弘 編著)など

 

戦後日本首相の外交思想:吉田茂から小泉純一郎まで

戦後日本首相の外交思想:吉田茂から小泉純一郎まで

 

書名の通り、吉田茂から小泉純一郎までの首相のうち17 人の外交(思想)について論じた本です。戦後日本外交史をリーダーの目線から追うことができて楽しかったで須賀、各章(各首相)をそれぞれ別の筆者が担当しているため、どうしても玉石混交感は否めませんでした。

国際政治上の環境とリーダーの外交思想は、言うまでもなく相互作用し合っているはずです。国際政治に影響を与えようとして繰り出される外交政策、その根っこにあるだろうリーダーの外交思想は、当時ないし過去の経験や認識の積み重ねによって形成されたものです。そこをどうとらまえるかが本書の醍醐味なのだと思いま須賀、そういった部分にまで言及されている章も多かった半面、例えば中曽根康弘の章など、首相の事績紹介で終わってしまっているものもありました。

個別の論点についての言及は避けま須賀、こうして通しで見てきて感じたのは、(日本をめぐる)国際環境は、この間何度か根本的に変転してきているのだという当たり前のことでした。

大日本帝国は戦争に敗れ、植民地も独立も失い、自国の平和を国際機構に委ねることに(少なくとも憲法上は)なった。と思ったら国際秩序をリードするはずの超大国同士が対立し、当てにしていた国際機構が機能不全に陥ってしまった。では仕方がないので、そこがちゃんと機能するようになるまでは一方の超大国に安全保障を委ねよう。それがまさに、吉田茂のスタンスだったと説明されます。

その超大国同士の対立構造は、強弱はありながらも国際環境の基調であり続け、日本のリーダーの多くもその構造を前提に(池田勇人の名がその典型として挙がります)、経済的に成長する自国の立ち位置振る舞いを模索していきます。

そして、その経済力が世界から最も注目された時期に、大前提と感じられていたその構造があっけなく崩れた。その時に首相の座にあったのは、吉田の直系の継承者とみなされた宮沢喜一でした。本書で彼は、PKO協力法によって「吉田路線を修繕した」との評価が与えられていましたが、上記の吉田のスタンスからすれば、「吉田路線の構想に戻った」と表現することもできるでしょう。さらに言えば、国連安保理においてより責任ある地位を占めようとする動きも、「吉田路線」の下に位置付けられるとすら言えるかもしれません。

国際環境が大きく転回するシーンは、これからも何度か見られることになるでしょう。その時により機敏に対応し、(自国のみならず、世界全体にとって)よりよい国際秩序を構築していくために重要なのは、構想力や状況規定の力なのだと思います。それは政治家や政治を志す人のみならず、社会全体で培っていくべきものではないでしょうか。それは少なくとも、隣国との対立を自らの政治的立場の強化に利用する姿とは180度異なるものであるはずです。

 

こちらも続けて読みました。小泉又次郎の話など、昔話が興味深かったです。

決断のとき ――トモダチ作戦と涙の基金 (集英社新書)
 

 

 

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親子の2019年10月読書「月間賞」

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政治報道に関心のある方には、一読をお薦めしたい本です。

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こちらを次点に。戦後日本政治を見る上での重要な切り口の一つです。

 

長男はこちらに。まあ実際に読みまくっているのはドラえもんなので須賀、10月に特徴的だったのはこのシリーズでした。

 

 

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[レビュー]『武器としての世論調査』(三春充希)

 

武器としての世論調査 (ちくま新書)

武器としての世論調査 (ちくま新書)

 

Twitterなどネットでの世論調査分析で定評のある著者が、世論調査の仕組みや選挙結果との関係、データで見る日本の様子などについて紹介する本です。

選挙結果や世論調査など各種データを駆使して、今を知るのに有用な切り口を平易に提示してくれます。特に、無党派層の中に一定数いるとされる政治的関心の高い層に着目し、選挙時に各政党の支持率が上がる現象(とその後の推移)や、報道機関の情勢報道を活用した戦略投票の手法、再び政権交代が起こる場合のこの層の役割などについて論じています。

新聞の情勢報道の文言が決まる現場というのもこれまで何度か目の当たりにしてきましたが、優位度を示す言葉の一覧表などは非常に興味深く眺めていました。結論についても、私の感覚として違和感ありませんでした。

この本は今年の参院選前に出版されましたが、noteで同選挙の結果などを踏まえた分析も展開しています。

note.mu

そこで言うと、著者も着目しているれいわ新撰組ですね。れいわが立憲民主党などと喰い合わずに、しばらく「寝ていた」無党派層を起こせるかが今後を占う一つポイントになってきていま須賀、彼らが議会政党として臨む初の国会(現在開会中の臨時国会)でどのような活動をして、野党各党とどのような関係を作っていくかは、その点にも影響を与えていくのではないかと思います。その点も注視していきたいです。

 

今の政治や選挙を考える上では、読んでおいた方がよい一冊だと思います。図書館で借りて読みましたが、買って手元に置いておきたいです。

 

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『日本政治とメディア』(逢坂巌)

 

テレビを中心としたマスメディアと日本政治の展開を、(第二次安倍政権誕生くらいまで)通史的に追う本です。各時期におけるそれぞれの状況や、両者の接点にあるような事象について紹介しており、整理して学ぶことができます。

本当に一言で言ってしまうと、

全体として都市化→無党派層の増加が進む中で、彼らへのコミュニケーション回路として各政権(特に永田町での基盤が弱い政権)はマスメディアに硬軟両様で関与しようとしたが、その巧拙はまちまちだった。テレビが政治を消費するようになるにつれて、政治報道と世論の動向がスパイラル的に増幅するようになり、その餌食となる政権も増えていった…

と論じられています。

世論と報道がスパイラルを起こすという点については、内閣支持率4%なんてこともあった森喜朗政権がその典型であるように、少なくとも民主党政権までの十数年間にについてはかなり妥当していると思えます。「読まれる」「読まれない」を重視するネットニュースにおいても、この傾向は同じか、むしろ強化されていると感じています。テレビ時代には、その渦は首相と番記者をはじめとする記者らの関係性から生まれるケースが多かったようで須賀、ネット時代の「バズ」の発信源はより分散化されています。いつ、どこから、どちら向きの渦が起こり始めるのかー政治の側から見ると、対応はより難しくなってきていると言えるでしょう。

またこの本によれば、特にテレビは受け手に非常に強力な「効果」を与えるツールとして政治の側に認識されてきたことが窺えます。ただ、いわゆるメディア論においてそのように捉えられていたのはテレビが登場した初期が中心で、そこからその効果を限定的に解釈する様々な研究成果が現れます。

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その中には、先ほど挙げたような「声の大きい者の声がますます大きくなってくる」ことについての議論もありますし、「テレビの影響は直接ではなく、それを解釈する身近なオピニオンリーダー的な存在を介して伝えられる」との見解もあります。マスメディアからの情報の受容は、最初に考えられたよりもっともっと多様だというのです。

そこから考えると、著者が強く意識している通り、政党という存在も政治過程における重要なコミュニケーション回路であり、メディアに他なりません。本書でもメディアとしての政党(自民党)の構造や方向性について紙幅が割かれていま須賀、メジャーな政治過程論のちょっと傍からこのテーマについて論じるなら、こうしたメディア論の知見と結びつけてみてもよかったような気がしました。

 

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『「大日本帝国」崩壊』(加藤聖文)、『侵略神社』(辻子実)

 

「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

 

台湾、朝鮮半島中国東北部満州)、樺太・千島、南洋…。遅れてきた植民地帝国・大日本帝国がどのように崩壊していき、現在につながっているかを地域別に追った本です。どのように戦闘が停止され(あるいはされず)、治安維持をはじめとする権力が移行され、「大日本帝国臣民」であった植民地出身者たちが帝国から切り離され、「内地」と呼ばれた日本列島出身者が引き揚げていったかー。それぞれの地域の事情を丹念に述べています。

個別の経緯についてこの場では詳述はしませんが、朝鮮半島といい中台といい、74年前に起こった帝国の崩壊が、現在の東アジアの政治に大きな爪痕を残している点はやはり印象的でした。誰のどんな判断が、今にどんな影響を与えているのか。良し悪し以前の問題としてそれは知るべきだと思いますし、その知識は、今を知る上でも必要なものだろうと感じました。

まあしかし、この時期のソ連の所業はやはり非常に目立ちますよね。感情的かもしれませんが… 

侵略神社―靖国思想を考えるために

侵略神社―靖国思想を考えるために

 

こちらは朝鮮神宮、奉天神社、昭南神社(シンガポール)など、そうした「大日本帝国」の版図に建てられた神社を扱った本です。かなりエッジの立った論調の本ではありま須賀、特に最初の図版が興味深かったです。

関連のこちらの本も面白そうですね。手に取ってめくってみたいです。

www.kokusho.co.jp

 

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