かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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柏木由紀の一言が示唆する日朝関係史/「西郷どん」第四十三話

www.nhk.or.jp

一度は決まった西郷隆盛の朝鮮派遣でしたが、岩倉具視が病に倒れた三条実美に代わって「太政大臣代理」となることで閣議はひっくり返り、西郷らは政府を辞職することに。そして西郷は大久保利通を訪ね、別れを告げます。

まずクライマックスの別れのシーンで須賀、帰国後人が変わったようだった大久保の情緒的な部分が表現されていて私はよかったと思います。上にリンクしたサイトでも、鈴木亮平瑛太コンビのアドリブで作り上げていったさまが紹介されていま須賀、大久保は後に西郷の訃報を受け、かなり動揺した様子であったとも伝わっていますので、当時の大久保利通自身の感情にも、近いものがあったかもしれません。

ただ全体として気になったのは、西郷が辞職して東京から遠く離れた鹿児島に帰ってしまうことへの周囲の危機感が、あまり描かれていなかった点です。唯一の陸軍大将であり、戊辰戦争の英雄として声望の高かった西郷隆盛が、士族の不満渦巻く真ん中に投げ込まれてしまうというのは明治政府としてかなり危険な事態だったはずですが、辞めると言った西郷をほとんど誰も引き止めなかったのはかなり異様に映りました。

あと小ネタかもしれませんが、鹿児島の園(柏木由紀演じる吉二郎未亡人)が朝鮮半島の地図を見た際に発した「短刀のようだ」という言葉は、この先の歴史を見ていく上でシンボリックな意味を持ってきます。「日本列島に短刀を突き立てたような位置にある半島である」=「朝鮮半島が列強の支配下に入れば、日本は一刺しでやられてしまう」という認識は、後の山県有朋の「主権線と利益線*1」の議論に通じるもので、日本が朝鮮半島への影響力拡大を目指すようになった土台にあったものと言えます。そんな言葉がシレッと出てきたことには、かなり驚きました。何かの伏線…とも考えにくいので須賀。

 

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*1:朝鮮半島はその間にあるとみなされます。自国領ではないが、自国の利益に非常に重要な関係がある地域だ、ということです

ハバナの恨みを福岡で?/キューバ大使宿泊、ヒルトン福岡が拒否

www.asahi.com

キューバだけに限ったことでもなく、しかも前回は泊まれていたとのことで須賀、事象として興味深いニュースにはなりましたね。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

この日のキューバ旅行記でも触れたので須賀、ヒルトンとキューバには60年越しの因縁があったりします。

キューバ革命で東部からハバナに攻め上ったカストロが、司令部を置いて接収したのが完成したばかりのヒルトンホテルでした。それが現在のホテル「ハバナ・リブレ」です。

www.sankeibiz.jp

3年前には、それぞれの子孫がそのハバナ・リブレで対面した、なんてシーンもあったそうで須賀、今回のヒルトン福岡の対応は、米国資本の他のホテルと比べても際立っているということです。

「江戸の恨みを長崎で」という言葉がありま須賀、「ハバナの恨みを福岡で」果たす意図があったのかどうか。

 

正面から「征韓論」を扱わなかったのは良い判断/「西郷どん」第四十二話

www.nhk.or.jp

留守政府を預かる西郷隆盛は、江藤新平らとともに国政改革を推し進めます。しかし朝鮮国への使節派遣をめぐり帰国した岩倉具視大久保利通らと対立することになってしまいました。

今回の話の展開は、薄味ながらお話として上手に作っていたと思います。

留守政府内の長州出身者である山県有朋井上馨がいずれも金銭がらみのスキャンダルで辞め*1、これまで脇役的な地位に甘んじていた土佐と肥前の出身者が西郷を抱き込むような形で実権を握る。これに対し、欧米から帰ってきた木戸孝允や大久保らが巻き返しを図るー。もちろん藩閥による権力闘争だけが当時の明治政府内の行動原理ではありませんでしたが、説明の仕方としては無難であったように思います。

当時の政界において、外政を重視するか内治を優先するかという路線対立を含んだいわゆる「征韓論」自体が、政策論として重要であったことは間違いありません。ただ、まさしくそれは「韓論」であった*2が故に、150年近く経った現在においても(むしろそうであるがこそ)、「近代日本の曙光」として放送されるNHK大河ドラマでその件を詳述するのは具合が悪かったのではないでしょうか。

穿った見方かもしれませんが、全体としてそこまで史実性を重んじてこなかった今作で、敢えてデリケートな政策論争を描こうとするより、その背後にある権力闘争に原因を求める方が格段に無難だったろうと感じました。これは古今東西の政治を分析する上で、難しい部分でもあるのだと思います。

 

しかし帰国した大久保卿の演技は迫力がありましたね。ネットでは「ダークサイドに堕ちた」なんて反響もあるようで須賀、何かをきっかけに(場合によってはそのきっかけすらなく)キャラが急変した、と見做されるのは、そこに至るまでの機微を筋書きとしてしっかり説明できていなかった、ということでもあります。

*1:司馬遼太郎に言わせれば、「薩摩出身者は女に、長州出身者は金に弱い」とされたそうです

*2:たまに「西郷さんは使者として朝鮮に行くと言っていただけであって、平和を望んでいたのだ」と真顔で主張する向きがありま須賀、さすがにそれは厳しいでしょう

「犬くらいの寿命」だとしても…/『GAFA』(スコット・ギャロウェイ)

 

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

 

今年の流行語大賞の候補にもノミネートされたGAFA(GoogleAmazonFacebookApple)それぞれの成り立ちやビジネスモデルを読み解きつつ、「GAFA時代」とその先の世界まで論じた本です。

この本では、これら「四騎士」が人間の脳や心、(穏やかでない表現で須賀)性器に訴えることでその地位を築いていったとしています。

膨大な知を集めて検索結果を公平に示す(とされる)Googleは脳を補い、Amazonはもはや社会インフラというべき輸送網で物を欲する指と脳をつなぎます。Facebookは人間同士のつながりを求める心に訴え、Appleは「高級ブランド」として持つ人間のセックスアピールになる*1。そうしたそれぞれの方法で立場を固め、堀を築いているというのです。

「四騎士」には共通点もあるといいます。商品の差別化、ビジョンへの投資(安い資本を集める力)、世界展開、好感度(当局に目をつけられにくくなる)、垂直統合(直営店の運営)、AIの活用、勤めることがキャリアの箔付けになる、地の利(優秀な人材がいる場所に近い)、など。しかし一方で、著者はこうした企業が長く優位な立場を保つとは考えていません。高級ブランド化するAppleは比較的マシとしながらも、「寿命は犬と同じくらいだろう」と喝破しています。

著者は「四騎士」について、「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」を生み出した、と批判的に捉えています。ただ恐らく、著者もそう予感しているのではないかと思いましたが、彼の言う通り「四騎士」が犬並みの寿命で表舞台から姿を消したとしても、アリババなのかテスラ・モーターズなのか、あるいはまだ見ぬスタートアップ企業なのかはともかく、次の騎士達の時代になってもその傾向は続くのではないかという危惧を抱いてしまいました。大きな変革期だからこそ、技術を社会の中でどう使っていくかが重要だ、と聞いてきたはずなんですけれども…

 

個人的には、著者がNew York Timesの役員をしていた時の提案、というのに関心を持ちました。GoogleFacebookに記事への自由なアクセスを許すのではなく、各報道機関が一体となって、一番高く記事を買ってくれるところだけに記事を配信すれば状況を改善できる、というものです。

この提案は社内で採用されなかったそうで須賀、日本の状況に照らしても、コンテンツを持っている側がもっと交渉力を持ってもいいはずで*2、ちょっと嫌な言い方かもしれませんが、プラットフォーム側が競合争いをしているタイミングは本当はそのチャンスであるようにも見えます。まあ、コンテンツを出す側が一枚岩になれるかどうかが非常に大きな問題ではあるんですけども…

*1:ここはiPhoneがありふれている日本ではあまりピンとこない感じでしたね。かく言う私は、私用と出向元・出向先からの貸与で計3台のiPhoneを持ち歩いていま須賀、それが異性へのアピールになったと感じたことはありません

*2:むしろそうなっていかないとコンテンツを再生産できなくなって最悪共倒れもありうる

西郷好きの明治天皇/「西郷どん」第四十一話

www.nhk.or.jp

岩倉具視大久保利通木戸孝允らが欧米に派遣されたことで、留守政府の実質的な首班となった西郷隆盛。陸軍内での汚職藩閥内での対立に悩まされながらも、天皇行幸を実現させました。

今更になってしまいましたが、興味深いエピソードが散りばめられた回だったと思います。山県有朋の山城屋事件はあまり知られていませんが、そこで西郷が山県を救った(なんとか場をとりなし、厳罰をしなかった)ことは山県にとっては大きなことでした。ふてくされた表情で場を去るシーンが印象的でしたが、どちらかというと西郷に恩義を感じていたという方が近いようです。

行幸*1をはじめとする西郷と明治天皇の接点というのも興味深いテーマです。ご存じのように、西郷は最終的には明治政府軍と戦って死ぬわけで須賀、明治天皇自身は西郷隆盛という人物のことがお気に入りだったようで、後年、明治天皇が西郷とのエピソードを語ったりもしていたそうです。相撲のシーンは、そんな空気感を表現していますかね。

また、宮中に村田新八山岡鉄舟らを配するというのは、若き天皇に士族の剛毅な精神に触れてもらいたいという意向ゆえのことで、ドラマでは村田本人は嫌がっていましたが、西郷の腹心であればこそその任に当たったと言えるでしょう。その後も「天皇の間近にどんな人物を配するか」は、国政全体のあり方の路線対立*2も交えたデリケートな問題であり続けます。

やはり一つ違和感があったのは、西郷と島津久光のやりとりですかね。ドラマとしていい話にはなっていま須賀、現実の温度感はもっともっと冷たいものだったようです。2人の微妙な関係性は最後まで響いてくるはずなので、その辺をどう着陸させるのか、ますます気になるところではあります。

*1:ちなみにこれは西郷というよりは大久保が推進したようです

*2:天皇親政か、立憲君主制

ずっと長男のターン/長男言行録(4歳3・4カ月)

9月

トランプなどのカードを使って、独自ルールの遊びをし始めました。

トランプだとババ抜きや七並べ、神経衰弱*1、カルタやウノといったカードゲームは以前から好んでやっていましたが、この時期から長男が自分で考えたと称するカードゲームを一緒にやる(やらされる?)ことが増えました。

確か最初のものはトランプのスピードのようなルールだった気がするので、もしかしたら保育園かどこかで見聞きしてきたゲームをやっているつもりだったのかもしれませんが、徐々に「自分が考えた独自ルールのゲームである」ことを強調するようになってきました。

まあ大概ゲームとして完結していなかったり、ルールが不公平だったりするんですけどねww

最近は電車や国旗のカードを使ったりもしていま須賀、こちらはなるべく公平なルールになるよう、長男に憐みを乞う日々が続いています。

 

10月

キューバ旅行から戻った数日後だったと思います。ちょっとした用事でタクシーに乗ることがあったので須賀、車中でこんなことを言っていました。

キューバのタクシーと違うね。運転するところが反対だよ」

キューバの車が左ハンドルだったことを思い出したようです。私は旅行中も全然意識していなかったので、そんな話をした覚えもないので須賀、乗り物好きだけあってそんなことも見ていたんですね。

中学入試か何かの有名な問題で、本土復帰前の沖縄で車が右側通行をしている写真を見せてどこの写真か問うものがあったようですけど、その問題も知識の多寡以前に、車が車線のどちらを走っているか気づかないとお話にならないわけで、子供のそういう気付く力のようなものを私も失ってはいけないなあと感じさせられます。

*1:これがまた強くて、私は本気でやっても勝てないことがありますw

親子の2018年9・10月読書「月間賞」

9月です。 私はこれ。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

史料をもとに様々な事象を読み解いていくさまは純粋に興味深かったですし、残念なことに「荒れやすい」テーマであるからこそ、そうした手法を貫くことが重要なのだと感じさせられました。

長男はこちら。

きかんしゃトーマス とびだせ! 友情の大冒険

きかんしゃトーマス とびだせ! 友情の大冒険

 キューバ旅行前に、ロングフライトのお供にと買ってあげた本です。相変わらずトーマスは大好きで、「鉄板」の秘密兵器になってくれました。もちろんトーマスを否定するつもりはありませんが、他にも彼が面白いと思える本はあるはずなので、少しずつそういうものにも目を向けていってほしいという気持ちはあります。

 
10月です。私は、
前月との比較で言えば、まさに大炎上の渦中に巻き込まれてしまった本ではありま須賀、その話題性といい充実した内容といい、慰安婦問題を議論する上で必読の一冊であると評価してよいと思います。
数日前から徴用工問題が非常に注目を集めていま須賀、そこに通じる議論も満載です。一つだけいうと、1965年の日韓協定で対日個人請求権が解決済みとされた背景には、北朝鮮側の請求を封じる当時の韓国政府側の政治的意図があったと指摘されています。むしろ当時の日本政府は個人補償に応じる姿勢だったそうで、如何に行政と司法は別とはいえ、協定締結時に自分から要らないといったものを、いまからよこせというのは行政府たる韓国政府として容易なことではないでしょう。
長男はこちら。
おばあちゃんのななくさがゆ

おばあちゃんのななくさがゆ

 

 図書館で借りてきていました。時期はちょっとずれていましたが、熟読していましたね。一緒に同シリーズの『おばあちゃんのえほうまき』も借りてきていて、本人に聞いても甲乙つけがたい様子でした。